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452 「ザウルス」の歴史と終焉。
2001/10/29(月)08:55 - 芦田宏直 - 6078 hit(s)


ザウルスは、なぜダメなのか。それについて、私は「要するに、あれもこれもできるようになったザウルスは、もはやザウルスではなくなったということだろう」(http://www.ashida.info/trees/trees.cgi?log=&v=447&e=msg&lp=447&st=0)と書いた。それにつきる。

「ザウルス」はPI-3000として1993年10月(定価65000円)に発売された。それを買うまでは、私はカシオの「電子手帳」派だった。シャープのそれは、カバーがビニール製で好きになれなかったことと文字入力が特殊な方法だったからである。いずれにしても1993年以前はカシオとシャープが互角に戦っていた。3代くらいのデータがたまっていたカシオ派の私が「ザウルス」に転向したのは(丸々二日間かけてデータを手入力で移した)、このザウルスで、初めて(つまり、“電子手帳”至上初めて)、文字変換せずに、手書きの走り書きができるようになったからである(ついでに言うと手書き認識ができるようになったことも大きかったが、当時の私はそれにあまり大きな魅力を感じなかった。キーボード入力については1983年以来ワープロになじんでいたからである)。

紙の手帳と電子手帳との利便性の差は、一覧性(見開きの手帳の広さ!)において電子手帳が劣るという問題と、なんと言っても速記性(走り書き)の問題が残っていた。もちろん場合によっては、走り書きにおいてさえキー入力の方が早いかもしれないが、心理的な敷居としては、即応性が求められる“電子手帳”におけるいちいちの文字変換は結構、電子派になれない“問題”だったのである。

一覧性の問題は、“電子手帳”の欠陥と言うよりは、選択の問題だ。私が一覧性を犠牲にしてでも初期の“電子手帳“に走ったのは、毎日、毎年増えていく“連絡先”の紙への記録は、データの自殺に近い出来事だと思ったからである。毎年紙の手帳を変える場合、どうやって昨年のデータをコンバートするのか。コンバートなどできない。手書きの移し替えには限界がある。データを活かそうとすれば“同じもの”を添付し続けるしかない。たまればたまるほど、文字は見えなくなる。紙もぼろぼろになる。要するにデータ“ベース”にならない。この問題の方が、一覧性の問題よりよほど深刻だった。

しかし手帳の本質を速記性に見る人が電子手帳を認めないという理由は、電子派の難敵だった。ザウルスPI-3000がそれを突破したのである。

ザウルスの成長期には、三つの予期し得ぬ、しかし並行する成熟があった。

1)パソコン通信にはじまり、インターネットへと成長するネットワーク社会の急激な成熟。
2)携帯電話の急激な普及。
3)ワープロからパソコンへの急激な転換、普及

 ザウルスと並行して始まったこれらの三つの歴史的な成熟の、(ザウルスにとっての)最も大きい衝撃は、携帯電話の普及である。手帳の大きな機能であった電話番号参照が、まずなくなった。すべては電話の中に入るようになったからである。〈電話帳〉というものがなくなったのである。

 そして、旧来の“ネットワーク”のすべてであった電話と電話帳の領域において、あらたにメールアドレスを中心にしたインターネットが普及し始める。スケジュール管理ともう一つの柱である電話(=電話帳)を想定して出発したザウルスにとって、インターネットとの結合は難題中の難題だった。一つには、モデムの電池消耗量が激しく、ACアダプタなしの使用は不可能になってしまったこと。二つ目には、メールのやり取り程度なら充分だが、ホームページ閲覧となるとモニタの大きさが致命的なものになること。

 最初の問題は、携帯電話に完敗してしまった。リアルタイムメール受発信において携帯電話(とその電池のもち)に勝るものはない。携帯電話がインターネットメールメディアとして向いていたのは、それが常時接続メディアであったこと、また常時接続状態であると共に常時携帯メディアであったことである。ザウルスは、その二つの条件において中途半端なままの存在だった。二つ目のモニタの問題は、手帳の大きさにとどまる以上、解決不可能な問題だ。

 そうこうするうちに、パソコン普及が爆発的なものとなってきた。これはザウルスの初期には想定の枠外だった。ザウルスの登場の当時には、ワープロ専用機の成熟期だった。この意味は、ザウルスデータは、まだザウルスの中だけの世界だった、ということである。今のようなパソコンデータとのシンクロなどというようなことは想定されてはいなかった。むしろキーボードに全くなじめない反ワープロ派、反パソコン派のためのせめてもの“電子”ツールがザウルスだったのである。キー入力より決して速くはない手書き文字認識機能をザウルスの第一のキャッチコピーにしていたことからもそれはあきらかだ。

 ところが、Windows95以降、ネットワークがパソコン環境の常識となってきた。電子手帳、あるいはワープロ専用機を使わない人も会社ではパソコンを使うようになってきた。キーボードアレルギーが(おじさんたちの間で)激減したこと、電話連絡の第一の機能であるアポイントメントをメール(=パソコン)でやるようになったこと、パソコンデータを持ち歩きたくなったことなどが、ザウルスの内部のデータとパソコンデータとを共有する必要、つまりザウルスをノートパソコンのように使いたいという贅沢な要望が出現し始るきっかけになっていた。WindowsCE(1997年)の登場は、この要望に直接答えるものだった。最初、この動きが活発化しなかったのは、80年代から培われた、カシオ+シャープの電子手帳の個人情報管理(PIM)のノウハウに、WindowsCEの中身がはるかに貧弱だったからである。むしろ初中期のWindowsCEは、完成したパソコン本体での情報を持ち歩くための端末0Sにすぎなかったと言える。

 ザウルス=シャープは、このWindowsCEの出来の悪さにほっとしていた。現に私も何度もWindowsCEへの転身を図ろうとしたが、そのつどザウルスに舞い戻りしていた。ところが、この現象は、当たり前のことだがザウルスユーザーだけのものだった。ザウルスのPIM(Personal information manager)の便利さを知らない多くのパソコンユーザーにとっては、WindowsCEのパーソナルな端末化は、それで充分だった(ザウルスと比較するからいけないのである)。その後、「PDA(Personal digital assistant)」(WindowsCE、PALMなど)と呼ばれるようになった多くの“端末機”の興隆は、キーボードアレルギーから(最初から)解放された新しい世代の“電子手帳”派を形成したのである(90年代の最後半〜現在)。

要するにザウルスは、キーボードのできない古い世代の“端末機”。PALMは、パソコン世代の新しい世代の“端末機”ということに、いつのまにか色分けされていた。もちろん、ザウルスは単なる“端末機”以上の自立性を有していたが、新しいパソコン世代は、メガ、ギガ、テラと増えてくるデータ量、15インチ、17インチ、21インチ、VGA、XGA、SXGAと拡大するモニタの性能、そして貯めるよりは流れるインターネット情報(オープンデータ)の有益性をよく心得ていたが故に、手帳の大きさに何が期待できて、何が期待できないかをよく心得ていた。ザウルスは、いつのまにか、おじさんが、パソコンでできることをキーボードを使わずに何でもできるためのもの、という場所に落ち込んでしまっていたのである。

 ザウルスがPI-8000(1997年1月)を最後に(MI Zaurus:1997年以降)、インターネット(+マルチメディア)に走っていくのは、それがなおも初代機のキーボードアレルギー世代を前提にしているためだと言える。だから、E-1 (http://www.sharp.co.jp/sc/eihon/mie1/)ザウルス(2000年12月)になって、簡単なキーボードが付いたときには、もうこの商品のコンセプトは、完全に解体してしまったのである。携帯電話よりは、優れたキー入力とモニタ。WindowsCEよりは手軽。これが現在のザウルスの位置づけだが、前者よりは電池が持たない。後者よりはモニタが小さい(あるいは、キー入力しづらい)という欠陥を持っている。しかし、どちらも、〈パソコン〉と〈インターネット〉を意識しなければ、生じない“欠陥”にすぎない。

 言い換えれば、携帯電話ほど常時携帯する大きさ、重さではないザウルス(ザウルスをリアルタイムメーラーとしては使えない)、モバイルパソコンほどパソコンではないザウルス(ザウルスをワープロ代わりには使えない、ザウルスを会議資料のデータベースには使えない)、という中途半端。これが現在のザウルスのすべてだ。

 結局、私のザウルス遍歴は、PI-3000(1993.3)、PI-4000(1993.6)、PI-6000(1995.8)、PI-6500(1996.11)、PI-8000(1997.1)、MI-500(1997.7) http://www.sharp.co.jp/sc/gaiyou/news/970623.htm、MI-110M(1997.11) http://www.sharp.co.jp/sc/gaiyou/news/971118.htm、MI-610DC(1998.3) http://www.sharp.co.jp/sc/gaiyou/news/980303.htm、MI-310(1998.8) (http://www.terahouse-ica.ac.jp/staff/ashida05.htm#zaurus)、MI-C1(1999.12) http://www.sharp.co.jp/sc/gaiyou/news/991119.html、MI-E1(2000.12) (http://www.ashida.info/trees/trees.cgi?log=&search=%83U%83E%83%8b%83X&mode=and&v=163&e=msg&lp=163&st=0)とたどり、MI-L1(2001.6) http://www.ashida.info/trees/trees.cgi?log=&v=382&e=msg&lp=382&st=で終わることになる。PI-3000からPI-8000までは正常進化し続けた歴史だったが、MIシリーズになってからはユーザーインターフェイスの思想が乱れはじめ、ジグザグを繰り返した。シャープ内部でザウルスを作る事業部が変わったこと、WindowsCE、インターネット、PALM勢力の進展などが悪影響を与えたのである。

 そうして、ついに「ザウルスよ、さらば」(http://www.ashida.info/trees/trees.cgi?log=&search=%83U%83E%83%8b%83X&mode=and&v=447&e=msg&lp=447&st=0)となり、JORNADA720(http://www.jpn.hp.com/companyinfo/pressrelease/fy2001/cbo01jornada.htm)となった。これで、私は、毎年の、あるいは半年毎のザウルスとモバイルパソコンとの“並行”購入という悪癖から逃れられることになる。

 要するに、ザウルスを持ち歩くようなところでは、同じようにJORNADA720も持ち歩ける大きさと重さであること(大きさは、189(W)×34(H)×95(D)mm、重さは510グラム)。電池の持ちもかわらないこと(どちらも10時間)。そしてJORNADA720であれば、OFFICE文書の新規作成、および再編集とホームページ閲覧という点でモバイルパソコンの代わりが完璧にできること。P-in m@sterとコンパクトフラッシュの200メガを超える拡張メモリの同時使用によって、モバイルパソコンの代用が可能になった。代用どころか、スイッチオンですぐに使える快適さはまさにモバイルそのものだ。要するに“ザウルスのように”パソコンが使えるのである。要するにVAIO C1(http://www.sony.co.jp/sd/products/Consumer/PCOM/PCG-C1MRX/)もFIVA(http://www.casio.co.jp/mpc/205_206/)も大きすぎるし、電池の持ちもダメなのである。ザウルスがダメなら、VAIO C1もFIVAもダメなのだ。

 WindowsCEというOSも未だに中途半端で未完成なOSで、マイクロソフトがどこまで真剣に作り続けるかわからないところがあるが、JORNADA720自体の商品コンセプトはザウルスよりははるかにはっきりしている。「ザウルスよ、さらば」だ。8年間、ありがとうございました。


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