結局、今年は年賀状を一枚も出せなかった。というよりも年賀状を書く気が起こらなかった。なぜだか自分でもわからない。年賀状も書いていないのに、『芦田の毎日』を書くわけにも行かず、もう年明け、こんなにも日にちが経った。年賀状を出していただいた方、申し訳ない。「寒中見舞い」までに書ければ書いてみようと思います。もう少しお待ち下さい。
例年の「紅白歌合戦速報」(http://www.ashida.info/blog/2005/12/2005.html#more)に精も根も使い果たしたとは、思えないのですが、いつのまにか年齢も50才を超え、その体力消耗に自分でも気がついていないのかもしれません。あれは今思い出しても地獄のような4時間半です。ひょっとしたら、この「紅白歌合戦速報」が私の最大の年賀状なのかもしれませんが、それにしては内容が即興過ぎてつまらない。年賀状はもっと独特な間(ま)を持ったものでなければなりません。それがまた私にはとてつもないプレッシャーになっています。
『芦田の毎日』を書き始めて以後の歴代の年賀状をUPしてみます。
●2001年版年賀状(http://www.ashida.info/blog/2001/01/2001.html)
電化(=近代化)の決定的な象徴が〈冷蔵庫〉だった。付きっぱなしの電気製品の最初が冷蔵庫だったからである。
冷蔵庫の出現と都市と農村との分離(=都市化)はほとんど同時だった。
保存の技術は、農業のアナログ的な工業化の第一歩だった。
いまではバイオテクノロジーが農業を根底から工業化しつつある。農業にも昼夜、夏冬はない。付きっぱなしの農業。
そして、いまでは〈冷蔵庫〉が〈サーバー〉になる。世界中が眠らない。付きっぱなしの世界。
眠ったり(休んだり)、目を覚ましたりする(働いたりする)こと自体が、付きっぱなしの世界の〈内〉での出来事になる。
〈世界〉は終わらない、〈人間〉も終わらないかのようである。たぶん情報化の21世紀は、この〈終わり〉を巡る世紀になるにちがいない。
そして長男の太郎は都立戸山高校一年生に(「四人はなぜ死んだのか」の著者・三好万季ちゃんに憧れて)
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。