モバイル『芦田の毎日』

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「あけましておめでとう」はもう遅いが、来週からもう入院[日常]
(2006-01-12 23:51:28) by 芦田 宏直


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結局、今年は年賀状を一枚も出せなかった。というよりも年賀状を書く気が起こらなかった。なぜだか自分でもわからない。年賀状も書いていないのに、『芦田の毎日』を書くわけにも行かず、もう年明け、こんなにも日にちが経った。年賀状を出していただいた方、申し訳ない。「寒中見舞い」までに書ければ書いてみようと思います。もう少しお待ち下さい。

例年の「紅白歌合戦速報」(http://www.ashida.info/blog/2005/12/2005.html#more)に精も根も使い果たしたとは、思えないのですが、いつのまにか年齢も50才を超え、その体力消耗に自分でも気がついていないのかもしれません。あれは今思い出しても地獄のような4時間半です。ひょっとしたら、この「紅白歌合戦速報」が私の最大の年賀状なのかもしれませんが、それにしては内容が即興過ぎてつまらない。年賀状はもっと独特な間(ま)を持ったものでなければなりません。それがまた私にはとてつもないプレッシャーになっています。

『芦田の毎日』を書き始めて以後の歴代の年賀状をUPしてみます。


●2001年版年賀状(http://www.ashida.info/blog/2001/01/2001.html)

電化(=近代化)の決定的な象徴が〈冷蔵庫〉だった。付きっぱなしの電気製品の最初が冷蔵庫だったからである。

冷蔵庫の出現と都市と農村との分離(=都市化)はほとんど同時だった。

保存の技術は、農業のアナログ的な工業化の第一歩だった。

いまではバイオテクノロジーが農業を根底から工業化しつつある。農業にも昼夜、夏冬はない。付きっぱなしの農業。

そして、いまでは〈冷蔵庫〉が〈サーバー〉になる。世界中が眠らない。付きっぱなしの世界。

眠ったり(休んだり)、目を覚ましたりする(働いたりする)こと自体が、付きっぱなしの世界の〈内〉での出来事になる。

〈世界〉は終わらない、〈人間〉も終わらないかのようである。たぶん情報化の21世紀は、この〈終わり〉を巡る世紀になるにちがいない。

そして長男の太郎は都立戸山高校一年生に(「四人はなぜ死んだのか」の著者・三好万季ちゃんに憧れて)

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。


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