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431 re(2):貿易センタービル、NIMDAウイルス、叔母の死 |
2001/10/9(火)14:19 - えっぷ - 15823 hit(s)
横から失礼します。
> >生きていることに証明も最後もない。
>
> ということは、
> 人がこの世に生まれてきたことは、個人的には差はあるけれども
> 生きているということは単なる瞬間の出来事だということですか?
人がこの世に生まれてきたことは、自然界の中で見れば
何てことはないちっぽけなことだ、ということではない
でしょうか?
> >葬式が教えることは、生きていることに終わりも始まりもないということだ。
> 存在には、始まりも終わりもないんですか?
>
> >〈社会〉がつまらないように、〈生〉もつまらないものだ。
> 意味のある存在はないんですか?
>
> 世界は人間がいなくても存在していくものなのですか?
始まりも終わりも、そして意味も、すべて人が恣意的に作り出したもの。
おもしろい、とか、つまらない、という〈色〉は人が自然という
〈キャンバス〉に塗りつけたものに過ぎません。
連綿と続く現実(アナログ)のある区間を切り取った(デジタル化した)、
ものが〈社会〉であり、〈生〉であると解釈しています。
葬式は、無限に広がる、捕らえどころのない本来の〈リアル〉な世界の
存在を人に垣間見させます。
そういう意味では「MATRIX」という映画は示唆的でした。
以下は、「MATRIX」について書いた文です。
http://www.eppu-site.com/daily/wide_use.cgi/main?genre=4&dispmode=4&itemno=4-19
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┣【431】 re(2):貿易センタービル、NIMDAウイルス、叔母の死 2001/10/9(火)14:19 えっぷ (1177) |
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