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34 re(1):「なぜ人を殺してはいけないのか」
2000/10/22(日)20:04 - 芦田 - 9261 hit(s)


 ヘーゲル(ドイツの哲学者1770-1831)は、人間を殺すことは、人間を否定したことにならないと考えます。かれは、殺すことを〈否定〉ということから考えるわけです。
 ある人間を否定することにとって、一番重要なことは、その否定する人間(殺す方の人間)を認めさせる契機を持つ必要があります。
 殺すということは、相手を文字通り、無にすることですから、殺す方の人間を認めさせる契機自体を失うことを意味します。これでは、相手を否定したことになりません。
 否定の最大の目的は、相手に自らを〈承認〉させることだからです。たとえば、自分の肉親を殺された人間が、殺した人間を許せないといって、その犯人を殺したとします。これでは、犯人は何を反省したのか(何を否定されたのか)わからないままに死んだことになります。それは、殺人犯に対する真の報復ではないとヘーゲルは考えます。
 真の報復は、殺人行為をそれ自体に即して精神が反省することであって(その辛さを犯人が自覚することであって)、それ自体をも無化する死をもたらすことではない、とヘーゲルは考えるわけです。生きながら殺すことがヘーゲルにおける〈殺人〉の意味です。
 したがってヘーゲルは、人を殺してはいけない、と考えるのです。これはヒューマニストの側からする一番深い殺人反対論です。
 ヘーゲルには、死を感性的な痛みの極限と考えているところがあります。しかし本当に痛いのは、精神の痛み(心の痛み)だ、とヘーゲルは考えるわけです。
 死ぬことはその痛みに比べれば、些細なことだと見なすわけです。したがって、殺人より高度な否定として、精神の否定(精神における否定)を想定するわけです。
 この死の考え方は、ある意味では通俗的です。この死の考え方を今世紀最後の哲学者ハイデガー(1889〜1976)は乗り越えようとします。


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