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309 re(3):続続・子どもに携帯電話を持たせてはいけない。
2001/3/20(火)15:51 - きゅう - 13705 hit(s)


アルキメデスが風呂場で“ユリイカ!”と叫んだ、という話には、それが風呂場の出来事でなくてはならない必然性があったのだと、私は考えます。
少なくとも私にとっての“プラットホーム”の役割を、風呂場は果たしてくれています。そこでは私は、完全に一人になります。ブラウン管に映る他人も、音として耳に入り込む他人もいないからです。
風呂場に入り、そうした外界から完全に遮断される時、どういうわけか先生のこの文章のことを思い出し、話すことと書くこと、そして考えることについて、気づけば考えているということが、ここ数日、続いています。
つまり、先生の“書く”という行為が、私の“考える”という行為のきっかけになったわけです。

おっしゃられるように、人は絶え間ないおしゃべりの中で自分を失くしてしまいます。
そのことがもたらす危機的な状況についても、同じ思いを抱いております。
科学技術の向上が、人間を人間たらしめている特性、他のあらゆる動物と決定的に異ならせる特性を蝕んでいることは、実に皮肉な状況といえましょう。
そうした状況により、科学技術を成り立たせている根本さえ、骨抜きにされかねないというのは、喜劇的とすら言えるように思います。
自制の利かない自由に用意される結末は、悲劇しかありません。

だが一方で、述べられている内容に対する、若干の違和感も(当然ながら)生じてきました。
先生は話すことと書くことを、時間的−空間的という対比のもとに、“考える”という行為の基礎付けを行うのは、間違いとはいえないにしても、必ずしも正しい、恒真的な命題だとも、思えないのです。
ソクラテスは、“書く”ことなく、誰よりも考えることが出来たのではありませんか?
特異な天才による例外、と言ってしまえばその通りかもしれませんが、それだけで片付けられない点を含んでいるように思います。

唐突な話ですが、私はカウンセリングに通っています。
カウンセリングというのは、言うまでもなく、クライアントとカウンセラーの“お話”によって成り立っています。
それだけのことで、精神的な治癒効果を得られる、と考えられています。
カウンセリングというのは、話すことで、カウンセラーという他者に、自分というものを手探りしながら記述していく行為である、と私は最近感じるようになりました。
その意味で、カウンセラーという対象は、クライアントにとっては、一枚の白紙のようなものである、と言えるでしょう。
つまり、カウンセリングというのは、“話す”ことと“書く”ことが混ざり合ったようなものである、と思うのです。

いきなり話が飛んでしまいましたが、私が言いたいのは、“話す”ことにも、単なるおしゃべりとしての“会話”と、ソクラテスが行ったような、あるいは、カウンセリングの場で行われる、“対話”の2つの種類がある、と言えるのではないでしょうか?
まさしくソクラテスは、“対話”することによって、他人の中に言葉を“記述”していったわけです。“話す”ことにより“書いて”いたのです。
その意味で、問題とすべきは、“話す”ことの氾濫ではなくて、“対話”の喪失なのではないでしょうか。
プラトンが、その著作を“対話篇”と名づけられる形式で記述していったのは、実に象徴的なことだと思います。
同時に、そのプラトンが、自分の考えを示すのに“書”を用いたということは、理論は“書く”ことによってしか成り立たないという先生の論を実証している例といえるでしょう。
長々と愚見を書いてしまいましたが、いかがでしょうか。


話は変わりますが、“押し黙る時間”という表現に、何か強く惹きつけられるものを感じていました。何か、記憶の中に照応するものがあるように感じていたのです。
それが何か、やっとわかりました。長田弘氏の“立ちどまる”という、確かそんな題の詩です。
懐かしさを覚え、氏の名前で検索したところ、次のような言葉を見つけました。
「詩は沈黙の言葉だ。そこにじぶんの言葉を置くことによって、じぶんの言葉をとりかこんでいる沈黙を、そこにあつめるための言葉だ。」
詩に限ったことでは、ないでしょう。


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