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38 WindowsCE再論、あるいは反「捨てる技術」論
2000/10/26(木)21:50 - 芦田 - 5787 hit(s)


WindowsCEの難点は、

1)メモリが少ない。拡張してもせいぜいのところ、100メガバイト程度しかないWindowsCE機はほとんど意味がない。というのも、データベース機能をもたないパソコン活用は意味がないからだ。たとえメール専用機とみなしてもメールデータベースとしても機能しなければ、意味がない。
2)PIM(スケジュール管理、住所管理、その他)が使い物にならない。これほど使い物にならないPIMは、この世にはない。開けたらすぐ使えるという機能に一番即した機能がこのPIM機能だが、これでは開けたらすぐ使えるというWindowsCEの意味がほとんどない。
3)上記、1)2)と関わって、データが増えてくると(どの分野でも1000件を越ええてくると)、WindowsCEのCPUでは、処理速度が極端に遅くなる(たとえば、最速といわれているシグマリオンであってえも事情は変わらない)。使い物にならない。
4)以上、1)〜3)を理由にして、WindowsCE関係者に文句を言うと、「WindowsCEは、単なる“端末機”、“ブラウザ”にすぎないから、期待をする方が間違っている」と弁解し始める。これがまた気にくわない。
5)私は、情報化時代の情報活用の核心は無駄なものをいかに持ちうるかだと思っている。問題は「捨てる技術」にあるのではない。メールのやりとりも、過去のスケジュールも、たしかに“今”不要だと判断できるものはいくらでもあるだろう。しかし、それが将来にわたって、ということになると、これは神様にしかわからない。よく、重要なものをいかに効率的に集めるかが、情報時代に必要なセンスだと言われるが、それは半分ウソであって、効率的なデータを扱うためには、かなりたくさんの無駄なデータの累積なしにはありえないのである。魚取りの網は、魚だけがかかる部分よりはるかに大きな面積の中で初めて意味をもつ、といっていたのは、(たしか)夭折した作家高橋和己が言っていたことであるが、それは彼が中国の古典文献学の研究者であったことと無関係ではない。文献学の文献収集がいかに意味のないものの収集であることか。
6)結局、有意味性というものを〈現在〉において考えないことが重要なのである。情報収集ということで言えば、情報を〈入力〉では差別せず、〈出力〉において差別せよ、ということだ。名刺入力にしてもどんなにもう会わないと思った人(憎たらしい人、会いたくない人も含めて)であっても、そこでは差別しないで、とにもかくにも心をフラットにして=文献学者のように入力だけはしておく。差別は、〈出力〉的な差別=検索によって行えばいいのである。それが情報処理というものだ。
7)WindowsCEが致命的なのは、情報をあらかじめ選別させて、捨てることを意識的に強要してしまうからである。こんなものは、たとえ情報端末としても使い物にならない。


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