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 番号 日付  題名 投稿者 返信数  読出数
49 9/6(金)
17:04:54
 「意識改革」なんて意味がない(第二版)。  メール転送 芦田宏直  14320 

 
 よく、棒グラフで(棒グラフを職場のよく見えるところに貼って、あるいはノーツやイントラネットのグループウエアの中で)、実績管理をやろうとする職場があるが、これはほとんど意味がない。目標意識や競争意識を社員に喚起して成果を期待するという趣旨だろうが、これはほとんど意味をなさない。意味をなさないものだから、社員の「意識改革」が必要だ、なんてことを朝礼でしゃべる管理職が出てくる(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=40)。中には「根本的な」(根本的、抜本的意識改革)なんて形容詞がついていたりする。

 私は、この問題については答えが出ていると思う。棒グラフを見なければいけないのは、課長や社長(管理職)自身であって、社員ではない。社員は、そんなこと百も承知なのだから、「いまさらグラフなんて」、ということでしかない。問題は、グラフ張り出しをするということは、管理職が実績を参照して、部下への対策の具体化の指示を出していないということである。実績に対してどうしたらよいのかの具体案を出さずに、結果だけを張り出し、結果が悪いのだからがんばれ、と言っているだけの職場、これが“グラフ職場”である。要するに、グラフをいちばん見ていないのは、課長、社長である職場、それが、“グラフ職場”である。

 「意識改革」が必要なのは、社員ではなくて管理職。社員は“上部”がいつも本気でそれ(目標)を言っているのかどうかに敏感だ。“上部”に敏感でない社員なんていない。どんなに仕事のできない社員でもそれだけにはたけている。そもそもそれが「社員」というものだ。今先ほど、私は朝礼でしゃべってきたが、きのうは朝10:00から夜の10:00まで、ミーティングの連続で(大声で、あるいは大議論でしゃべりっぱなしの連続で)、その間一切食事を取れなかった。朝礼はいつものように(あるいは昨日の影響もまだ残っていていつもよりハイテンションで)元気にしゃべったが、なぜか、みんながおとなしい。終わってわかったのは、それは私の話しの内容に関する反応ではなくて、私がよくもまあ、あれだけきのう話し続けて、今日も朝から元気だなあ、ということらしい。中には、「感動しました … 」、という訳のわからないことを言う奴まで出てくる始末。全くの無意識な反応(予期せぬ反応)だったが ― 私自身は「もっと話の内容を聞いてよ」と思い、そうも言ったが ― 、それくらいに、“上司”と社員との関係はデリケートなものだ。

 だから社員が動かない(変わらない)のは、“上部”が動いていない(変わらない)からであって、その逆ではない。“上部”が本気で目標設定をし、本気でそれを管理しようとすれば、それで(それだけで)、目標は達成できる。それだけで、会社は変わる。社員も変わる。グラフを貼るというのは、私自身(管理職自身)は、それを見ていません、後で見ますといっているようなものだ。結果が良ければ、ほめ、悪ければ怒る、それだけしかしていない“上部”なのである。

 “上部”が、日々の部下の行動について具体的な指示を出す(相談にのってやる)ことをやっている職場であれば、グラフ出しなどやらない。やる前に“上部”は現場がどうなっているのかをよく知っているし、また他の部署や他の仲間がどんな成績であるのかも教えあっているからである。それが、〈職場〉というものだ。

 だから社員の「意識改革」など全く必要ない。社員が変わらないのは、上部が変わらないからだけのこと。上部が本気で結果を出す気がないから、社員は変わろうとしない。ただそれだけのことである。もし「意識改革」が「根本的な」ものだとすれば、それは上司が辞める(クビになる)ときだ。「根本的な意識改革」を言う上司がいるとすれば、それは「私は辞めます」と言っているだけなのである。辞めるしかない無能な上司だということだ。人の“上”に立っておきながら、“下”を批判してどうするのだ。“上”に立つということは、組織が〈そこ〉から変わる、その場所に立つということである。そういう気概(認識)もなく、社員に「意識改革」「研鑽」「努力」を説き続ける者こそ、真っ先に変わらねばならない自分の課題を忘れているのである。


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