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357 10/26(火)
23:43:30
 デリダ追悼(1’) ― ヘーゲル・フッサール・ハイデガー・デリダ  メール転送 芦田宏直  8624 

 
評論家風に言えば、私は、アルジェリア生まれのユダヤ人デリダは知性化されたレヴィナス http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%9E%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%8A%E3%82%B9 だと(今となっては)思っている。こういった人格的な類推は下種(げす)なものでしかないが、「痕跡」「他者」「原(アルシ)-エクリチュール」などといった意匠は、もとからユダヤ的だし、レヴィナス的だ。「暴力と形而上学」(『エクリチュールと差異』)におけるデリダのレヴィナス批判はほとんど近親憎悪としか思えない。日本ではレヴィナスが本格的に紹介されはじめたのが、デリダよりもさらに遅れて、70年代の後半だったから影響関係(に対する関心)がよじれてしまった(ちなみに私がレヴィナスをはじめて知ったのは60年代後半の丸山静の現象学関連の諸著作からだったが、70年代以降デリダを読み始めた私にはその関連が全く読めていなかった)。

私がそう思うのは、同じユダヤ人フッサールにはあれほど厳しくあたるくせに(というかあきれるほど単純な図式に推し狭めるくせに)、ナチ傾斜したハイデガーには「複雑な」関係をとるデリダのそぶりだ。ハイデガーに複雑なそぶりをとったり、ヘーゲル対ニーチェ、ハイデガー対ニーチェを前面化するデリダは、その意味で、ユダヤ的な痕跡論、他者論をヨーロッパの王道の哲学の舞台の上で演じたにすぎない。レヴィナスに残る田舎臭いユダヤ思想を普遍言語(ある種の都会語、標準語)で論じたのがデリダの「ポストモダン」だったとも言える。

以下の論文は、そのデリダのフッサール理解や現象学理解がいかに曲解されたものか、を論じた『還元と贈与』(ジャンリュックマリオン著)http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/%83W%83%83%83%93%81E%83%8A%83%85%83b%83N%81E%83%7D%83%8A%83I%83%93/list.html訳者後書きの論文(「存在論から現象学へ」)である。この論文で、私は、ヘーゲル、フッサール、ハイデガー、デリダといった学生時代に圧倒的に傾斜した思想家たちについて大概の輪郭を描き得たと思っている(要するに、この論文は『表現と意味 ― デリダのフッサール理解について』http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=351の続編であり、私のデリダ論の総決算の論文)。鍵は〈現象〉概念の現象学的理解ということだったのである。(なおWEB上での表記の諸制約からドイツ語のウムラウト、フランス語のアクサンなどは一切省略されているし、段落単位の引用文も特に●を冒頭に付けて特殊な表記をとっていることをお断りしておく)



存在論から現象学へ(1994年7月)

たとえば、デリダの『幾何学の起源』や『声と現象』、あるいは「形式と意義作用」を読むときに、なぜデリダは、故意と言えるほどにフッサールとハイデガーとの肯定的な面での連関を断ち切ろうとするのか理解し難いときがある。一現象学者としてのハイデガーなしには『存在と時間』以降の成果を議論することはできない−ハイデガーの思惟が彼自身の言明とは別に、どこまで(どの時期・どの程度まで)現象学的であったかどうかの議論はあるにしても−のだから、現象学をめぐるハイデガーとフッサールの位置付けに関するデリダの評価には不公平としか言えない部分が残る。

「更新された」ハイデガー読解があるとすれば、同じように「更新された」フッサール−ハイデガー関係、つまり「更新された」現象学評価−「現前性の形而上学」などと言う、紋切り型の評価とは別に−があってもよい。おそらくデリダを経由してフッサールを読む若い読者は『論理学研究』に対するハイデガーの評価の意味が理解できない。かつて、サルトルやメルロ=ポンティを通して理解されてきた現象学(フッサール−ハイデガー)の実存主義的理解がハイデガー自身の存在論的な思考の(再)刺激−つまりレヴィナスによるいささか単純化されすぎたハイデガー批判(存在論批判)を再批判するデリダの戦略的なハイデガー擁護によって際立ってきた存在論的思考の再刺激−によって新しい相貌を見せたように、フッサール現象学の「現前性の形而上学」型解釈もまた更新されなければならないのである。

もともと、独力でテクストを読むことを避けてきたこの国の研究風土に空手形のように「更新された」解釈とやらを上塗りする必要はないにしても、デリダやデリダ派から一息おいたところで、もう一度フッサールのテクスト、つまり現象学の(コン=)テクストに戻るきっかけを私たちは必要としていたのかもしれない。

『還元と贈与』の冒頭の論文、「突破と拡大」はこの間の事情と困惑とを次のようにまとめてくれている。

●これら(ハイデガーなりデリダなりの)二つの解釈のいずれに従うかによって、『論理学研究』は対立する二つの方向を示す。一方(ハイデガー)は『論理学研究』を第六研究に基づいて読み、存在の範疇的贈与に注目する。この場合、「存在論の歴史の破壊」の遂行と存在論的差異への移行とが可能となる。他方(デリダ)は、『論理学研究』を第一研究に基づいて読み、現前性の優位−アプリオリなものの志向性によってこの優位に異議を唱えることが可能になっていただけに、この優位はなおさら際だっている−に注意を向ける。この場合、差延(differance)に移って終わりも始まりもない脱構築に取り組むことが必要になる。実際この衝突は不可避であって、数多くの困難を引き起こしているがそのうち主要な二点を挙げてみる。 (a)『イデーン』での展開は別にして、フッサール自身にとって『論理学研究』における突破とは何だったのか。フッサールが意識していたこの突破のモチーフは−そうしたモチーフがあるとして−、直接的にせよ間接的にせよ形而上学に関わっているのだろうか。すなわち、現前性の優位によって特徴づけられるような形而上学に関わっているのだろうか。(b)ハイデガーは第六研究における存在の範疇的贈与に注意を向ける。デリダは第一研究における現前化する直観を非難する。もし両者の相違の根拠が第一研究と第六研究の中にあるのだとすれば、二人の読解はその相違の有する概念的射程によって、対立することなく微妙な仕方で組織されることになるのではないか。形而上学を定義し、それを問いに付すことが問題であるにしても、その場合、贈与の特性は直観による現前の特性と同じものなのだろうか。多分の危険は承知のうえで、これらの問いを検討していかねばならない。(邦訳8頁)

『還元と贈与』に収められた他の−「突破と拡大」(1984年)以降に書かれた−論文もまた、「これらの問い」の「検討」としては一貫している。というより、この論文集『還元と贈与』は、現象学的な「贈与の特性」−これこそが現象学による形而上学の突破の核心とマリオンがみなす−を、まずデリダ的な直観主義的「意味」理解の制約から解放し、さらにはハイデガー的な贈与の「存在論的」制約からも解放することを一貫して主題としている点で、六章からなる一つの著作として全体として読まれるべきなのである。


(1)現象学理解におけるデリダ的制約とは何なのか。

デリダは、フッサールの言う〈意味〉を「自己への現前」としての「超越論的所記」として理解している。それは、どんな能記的紐帯からも独立しているという意味で、つまり能記的紐帯によって「汚染」されていないという意味で「自己への」現前として特徴付けられている。

●(…)「意味」は、それが「意義」されようとされまいと「表現」されようと否とを問わず、言いかえれば意義作用の過程に「からみあって」いようといまいとを問わず、叡智的ないし精神的な一つのイデア性である。そしてこのイデア性は、場合によっては或る能記の感性的側面と結合しうるが、それ自体としてはいささかも能記を必要としない。記号学者と同様に現象学者も、自分たちは意味ないし所記という或る純粋な統一体、つまり厳密に同定しうる側面にかかわっていると主張するが、そうであるからには、意味の現前性、意味の〈意味という意味〉すなわち意味の〈意味という本質〉は、いま言ったようなからみあいの外で考えられうることになる。 (「記号学とグラマトロジー」in『ポジシオン』邦訳47頁)

フッサールの言う〈意味〉の「純粋」性は、デリダにおいてはカント的な〈自体〉にまで狭められている。デリダが「この図式の内部では(つまり「現前性の形而上学」の図式の内部では−引用者註)ヘーゲル主義がもっとも根本的なように思われる。(…)ヘーゲルによるカント批判は、おそらくフッサールにも当てはまるであろう」(『声と現象』邦訳・193頁)と言うときに、そのことは特にはっきりしている。デリダ自身がヘーゲル的な弁証法によってフッサールの〈意味〉の「純粋」性を批判しないにしても、それがカント的な「自体」−場合によってはカント的な二元論−と重ねて考えられていることはデリダのフッサール理解の核心にかかわることなのである。

なるほどもし仮に、〈意味〉がヘーゲル主義以前の直観主義的な〈自体〉であるとすれば、〈表現〉がその意味の表現である以上、表現という、意味への付加の理由が厄介なことになるのは確かなことである。

『イデーン(T)』(124節以降)で、フッサールは、デリダも言うように〈意義(Bedeutung)〉と〈意味(Sinn)〉とをフレーゲとは別のいみでふたたび区別しているように思われる。〈意義〉は、「ロゴス的・論理的」意義とか「表現作用的」意義に振りあてられ、〈意味〉は「あらゆる志向的体験」について「意義よりもいっそう包括的な広さ」を持たせられることになる。《このものは白い》ということについての、言わば「沈黙した知覚」(デリダ)とその言表との関係について、フッサールは「この過程は、いささかも『表現』を要求しない。つまり語として言いあらわされたものといういみでの表現をいささかも要求しないし、また語の意義作用といったようなものとしての表現をも、いささかも要求しない。この場合、後者の、語の意義作用といったものは、実際、語として言いあらわされたものとは無関係に(たとえば、語として言いあらわされたもの、言いあらわし方が『忘却されて』しまっている時のように)、独立にも存在しうるものだからである」(邦訳T(-2)235頁)と言っている。「したがって、陳述作用への移行は意味に何ものをも付加しない」とデリダは評釈する。「表現の層」は(〈意味〉に)「何ものをも付加しない」という点で、フッサールも言うように「非生産的」で「反映」的であるわけだ。

しかし、なぜ「非生産的」で「反映」的でしかないものが、少なくとも〈意味〉の「層」とは区別されて〈意義〉の「層」として存在しなくてはならないのだろうか(とデリダは反問していたのである)。

言葉とは別に言葉が表わすもの(指示するもの)が「存在」しているとすれば、言葉は存在する必要(理由)はないことになる。言葉が表わすものは(すでに)存在しているからである。デリダの「差延」という概念−むろんデリダ的な文脈では「差延」は「語でもなく概念でもない」(「ラ・ディフェランス」邦訳73頁:in『理想』1984・11月号)と言うべきだろう−は、この「アポリア」(マリオン)に訴える。つまり言葉が存在しているとすれば、それは単なる補欠以上のものとしてなのである。言語は「それがそこに追加されると言われるその当のものを遅ればせに生じさせる」、つまり「差延」させるような「補欠の奇妙な構造」(『声と現象』邦訳169頁)を顧慮することなしには考えられない。

デリダの〈差延〉は、代理者(ルプレザンタシオン)としての言葉(能記 シニフィアン)が、さしあたりはちょうどフッサールの〈意味〉が直観的な「自体」として解釈されている(デリダ)のと対照的に、代理者自体として(少なくとも一度は)想定されなければ考えられないような意匠として存在している。もともと、言葉と意味とが別々にそれぞれ自体として存在していなければ、そしてそのようにフッサールの〈意味〉が直観主義的に自体的であると理解されていなければ、その「補欠」としての言葉の必要(理由)は考え難いというデリダ的推論は効力を持たないはずなのである。〈差延〉は言葉があること、つまり言葉が「超越論的所記」との紐帯から解きほどかれて存在する(「意義作用の自立性」)ことから出発する。「我々は〈現在の現前〉を反復から派生させるのであって、その逆ではない」(同前101頁、あるいは127頁)。ちょうど、フッサールが〈意味〉から出発するように。言葉が「自立的に(fuer sich)」あるとすれば、意味としての自体は差延させられているのである。

つまりフッサールの直観主義的意味論−とデリダがみなすもの−は、フッサール自身の言う「意義作用の自立性」と「矛盾」しているというのがデリダのフッサール理解である。それを「形式主義の純粋性と直観主義の根本性という二つの主要なモチーフの緊張」(邦訳『声と現象』序言・32頁)とデリダは言っていたのである。

マリオンは、デリダに倣って、直観主義と意義作用(の自立的な作用)とが「現象学的明証」の「二つの源泉」であることを認めたうえで、しかし、デリダのように、その一方の「直観主義」を「現前性の形而上学」の残滓として「性急に」−単純(サンプリスム)ではないにしても−切り捨てはしない。テリダに反して「意義作用が最終的に与えられたものとして現出するためには、直観を解消されるべき一つの前提と見なすべきなのだろうか」(40)とマリオンはそこで問う。

たとえば「この一枚の紙」、と〈そこ(da)〉にある場合、「この一枚の紙」は「所記(シニフィエ)」(「直観」的な)なのか、それとも「能記(シニフィアン)」なのか。所記としての「この一枚の紙」が能記としての「この一枚の紙」によって表現される。形式的な先の問いに形式的に(通俗的に)こう答えるとしても「この一枚の紙」は、そのつど反復的に保持されている。「この一枚の紙」は、狭い意味で理解された直観主義的な「所記」であることと、〈差延〉の起源(=非-起 源)としての「能記」であることとの分割に先行している。所記と能記との形式的な分割に先行する「この一枚の紙」を、フッサールは「この一枚の紙」の〈意味〉と呼んだのである。この先行性こそが意味の現象性のアプリオリなのである。それは、(マリオンが言うように)意味の実在論(の可能性)や、言語の意味に狭隘化された意味論(の可能性)に先行している。もう一つの現象学であるヘーゲル現象学の端初(「感覚的確信」)で、「書き留め(aufschreiben)」られる「この一枚の紙」は、ある時は“もの”−「所記」としての「この一枚の紙」を、ある時は“言葉”−「能記」としての「この一枚の紙」を意味することによって、「感覚的確信」=「この一枚の紙」の「一般性」が導き出されている。ところがふしぎなことにヘーゲルは、有名な「感覚的確信」の章のどこにもそれがそのつど何を意味しているのかを「書き留める」ことができないでいる。それは、「この一枚の紙」の意味の不在のためではなく、むしろ事実的に「この一枚の紙」が意味(作用)をそれが反復的に保持されるような仕方で先行させているからである。

つまり、「我々(Wir)」は、ヘーゲルの叙述と共にその「この一枚の紙」がそのつど何を意味しているのかを了解しているのである。「この一枚の紙」の現象性は弁証法的な否定性の留保以前に現象する。「この一枚の紙」はどんな否定性とも無縁に、またどんな否定性にも先行して現象するのである。デリダが巧妙にフッサールをヘーゲル以前(カント)に後退させるのに反して、ここには現象するものと現象することとの間にどんな「留保(ムズュール)もない」(53)。「現前性の形而上学」という意味では、フッサールはヘーゲルの留保された現前性(〈否定性〉)をニーチェ的な「正午」の現前性(23)へと、むしろ「拡大」しているのである。

マリオンは、「… 現出と現出者そのものとの相関関係」(53)というフッサールの言葉(『危機』46節)を参照しながら、この留保なき先行性の積極的な意味を「現出は(…)現出者を与える(l'apparatre (…) donne l'apparaissant)」(53)というふうに言い換えている。「現象学的な突破は直観の拡大にあるのでも意義作用の自立にあるのでもなく、現象の贈与にのみ無条件の優位を与えることにある」(44)。マリオンは、フッサールのテクストを絡めながら次のように続ける。

●1900-1901年にはすでに贈与は(“偶有的な”)直観にも意義作用にも先行していた。なぜなら「意識に与えられたものは、表象された対象が実在していようと、もしくはそれが虚構されたものであろうと、それどころかたとえ背理であろうと、本質的に同じことである」のだから。というのも、直観と意義作用の両者ともそれのみが根源的な唯一の贈与の二つの様態として再解釈されなければならないからである。直観がその「拡大」へと開かれるのは、それがまず贈与の一様態として自己を与える限りにおいてである。「こうして意義志向がそれに対応する直観に基づいて充実される場合、言いかえれば表現が顕在的な命名において、与えられた対象に関係づけられている場合、対象は何らかの作用のなかで“与えられたもの”として構成されるのであり、しかも対象はその作用のなかで(…)意義作用がその対象を思念するのと同じ仕方で、確かにわれわれに与えられているのである」。このテクストにおいては、贈与(donation)は考察すべきいくつかの用語の各々を定義しながらおのれの先行性をマークしている。すでに意義作用において「与えられた」対象は直観によって、直観と「同じ仕方で」あらためて「“与えられる”」。二つの贈与間の隔たりは引用符(ギユメ)の微妙な働きによって目立たない仕方でマークされているのだが、この目立たなさは根源的な現象性の持つ唯一無比の与格的な性格によって要請されている。「思念されると同時に“与えられている”対象」、あるいは「意義された(しかも明証的認識のなかでわれわれに“与えられた”)対象性」は、つねに充実化的直観のうちで与えられている。というのも、実際にはそれはすでに意義のうちで与えられていたからである。直観の「拡大」は意義作用の自立と矛盾するのではなくそれを前提している。どちらの場合もただ一つの根源的贈与が問題なのである(…)。(45〜46)

「根源的な現象性の唯一無比の与格的な性格」の、その与格性に注目して、マリオンは「贈与(donation)」と言う。「… 現出と現出者そのものとの相関関係」(53)とフッサールが言った「相関関係」そのものを、マリオンは 「与える(能与)」−「与えられる(所与)」贈与の与格性、つまり「与え(る−られる)」(donation)性の「隔たり(ecart)」に読む。この贈与の与格性こそが、拡大された対象性の「過剰」な−単に直観的な対象に留まらない−現象性、つまり現象学的な現象性(の水準)をなしているのである。

つまり「この一枚の紙」は、「この一枚の紙」として、直観的な対象としても、意義(記号的対象)としても−つまり、この〈も〉の平行的な関係を維持しつつ−「先行」的な贈与性を刻印する。贈与の「与格」性は(何かが)何か〈に〉自らを与える(=与えられ る)、かの「相関関係」の間に生じるが、それは、この間にどんな間(留保)も与えないことによって、つまり「微妙な働き」(「目立たない仕方」)によってなのである。「この一枚の紙」という〈言葉〉で「この一枚の紙」という〈物〉を表現する、と言う場合−しかもその言明の意味を何ということもなく理解できる場合、「目立たない仕方で」「この一枚の紙」は言葉〈に〉、あるいは意識〈に〉現象している(反復されている)。この与格の〈に〉が間隔化する「この一枚の紙」の先行性は、言葉の意義として、あるいは物としてのそれに留まらない「過剰」性としての現象性なのである。ヘーゲル的な「この一枚の紙」は、絶対者の近傍で戯れる「類例(Bei-spiel)」−物や言葉としての−にすぎないが、フッサールの「この一枚の紙」は、かの「相関関係」によってそれ自身が自らにとっての「類例」(言葉や物としての)であり、「類例(Bei-spiel)」と言うよりは、その現象性はむしろ「与える」−「与えられる」贈与の「遊動的反射(Spiel)」そのものなのである。

したがって、ヘーゲル以後の現象学としてフッサール現象学が「現前性の形而上学」であることは、「意義作用の自立性」と対立させられた「自己への現前」としての「直観主義の根本性」にもとめられるものではなくて、むしろ、直観と意義作用とに先行する「贈与」の現前性(現象性)にこそもとめられるべきである。「現前性と断絶した、それゆえ形而上学から外れた意義作用を仮定している点で」「逆説的にもデリダの解釈はまだ十分に徹底的ではない」(47)のである。

直観が範疇的なものにまで「拡大された」第6研究においてさえ「範疇的直観が何らかの『存在直観』として存在者と(ましてや存在と)直接的に関係付けられたことは決してなかった」(51)と、マリオンは強調する。「私はとうとうひとつの地盤を得た」とハイデガーが第6研究について言う場合、それは範疇的直観そのものについて、つまり直観が感性的か、それとも範疇的かということについて言われているのではなくて、ハイデガー自身強調して言うように「与えられていなければならなかった」「存在」の「意味」に関してのことである。マリオンが言うように「直観が範疇的になるのは存在が自己を与えるからであって、決して範疇的直観のおかげで存在が自己を与えるのではない。範疇的直観が存在を与えるのではなく、存在がおのれ自身の贈与の結果として範疇的直観というものを認めるよう強いるのである」(49)。現象性としての贈与は直観的な−カント的なものであれ、「拡大された」(範疇的)意味でであれ−「対象性」を「超過」している。デリダのフッサール批判が「逆説的」になるのは、彼の言う「現前性の形而上学」がむしろ「現前的なものをたえず制限し、現前的なものの贈与をたえず抑制する」(52)、フッサールの現前性の審級についての「余りに狭すぎる理解」(47)、直観主義的理解からきているからである。−デリダの『声と現象』全体に即したフッサール理解の問題点については、拙著『書物の時間』(行路社)当該箇所(「表現と意味」)を参照していただければ幸いである。


(2)現象学理解におけるハイデガー的制約とは何か。

「存在論は現象学としてのみ可能である」。なぜか。それはフッサールの言った「現出と現出者そのものとの相関関係」は、ハイデガーの「存在論的差異」、つまり「存在」と「存在者」との「差異」においてこそ、さしあたりその根源的な意味を見出だすからである。この「相関関係」は「存在者の存在」とハイデガーが言う場合の属格「の」の「目立たない」「微妙な働き」−「遊動(的反射)」(Spiel)によって存在論的なものである。

しかしながら、「存在論は現象学としてのみ可能である」とした『存在と時間』第七節のこの認識は『存在と時間』全体を導いている「存在の問い(Seinsfrage)」の三項的な配置(「問われているもの(Gefragte)」→ 存在、「問いかけられているもの(Befragte)」→ 存在者、「問い確かめられるもの(Erfragte)」→ 存在の意味)によって曖昧にされているのではないか。「存在の問いの最初の二項(存在者/存在)を第三項(存在の意味)によって二重化することは、存在論的差異の観点からは袋小路へと導く」(183)ことになるのではないか。

「存在者の存在」(現存在の存在)を問うことは、「存在一般の意味」に果たして通じているのだろうか。存在者−存在(存在論的差異)という対は「存在者の存在−存在一般(の意味)」という対と見合うべき何かを有しているのだろうか。しかし、公刊された『存在と時間』は、フッサールが意識と実在との差異に終始したように眼前的なものと手許的なもの、意識(主観)と実存、本来的なものと非本来的なもの、そして世界-内部的存在者と現存在との区別に終始しているのではないか。『存在と時間』が「存在論的区別(ontologische Unterschied)」と−かつてフッサールが名付けたようにして−呼んでもいるこれらの差異のタイプは終始、(フッサールがそうであったように)存在者の間での、あるいは存在者の内部での差異であり、その後の存在論的差異(ontologische Differenz)が問題とするような「存在一般と存在者一般は決して問題とはならない」(177)。

マリオンは単純化をおそれずに以下のように自問する。「第一の(存在者から存在者の存在への)隔たり(ecart)を踏破する現存在と同一の現存在に依拠することで、『存在と時間』は第二の(存在者の存在から存在の意味への)隔たりの踏破を企てることができるのだろうか。あるいは、存在一般への到達は存在者の存在への到達と同様、たとえ注目に値する存在者であれ一つの存在者に基くことができるのだろうか。要するに、存在そのものの問い(存在論的差異:存在者−存在)は、存在者的な基礎(その存在における現存在、「存在論的区別(ontologische Unterschied)」)を容認するのだろうか」(191)。

つまり『存在と時間』は、この隔たり(ecart)の二重化−厳密に言えば、存在者と存在との隔たりの、「存在の意味」による二重化(179)−によって存在論的差異の現象学的な「贈与性」を隠蔽してしまうのである。

「存在の意味」による「存在論的差異」の二重化とは、しかし「存在者」でありつつ、「存在者」の「他者」である「存在」を問うことのできる「現存在」による二重化である。実際、マリオンが「存在の問い」の三項体制を問題視するのは、その「第三項」としての「現存在」の地位に関わってのことである。「『存在の問い』が第三項として存在論的差異−存在者と存在という二項からなる−に付け加えるのは現存在そのものに他ならない」(187)。つまり「存在の問い」とは、「問うことはそれ自身ひとつの存在者である」(ハイデガー)ことからも、「現存在そのものである」(187)。むろんこの第三項は「存在論的差異」(存在と存在者との二項)を明らかにするためのもの、現存在という存在者の(存在論的なものへの)「絶対的に自在的な転化」(188)のためのものである。この第三項 (現存在)は「存在論的差異」の二項へと自己を解消すること、ひとつの「脱自」を意味している。結局、「存在の問い」の三項体制が「袋小路」に陥るのは、三項の要をなしている「現存在」が「存在」への脱自的な転化を自在なものにできないことに起因しているとマリオンは考える。

〈不安〉-〈無〉についての、1927年(『存在と時間』)から、1929〜1943年(『形而上学とは何か』)にかけてのハイデガーの「苦心の跡」(249)は、この脱自的な転化の問題に関わっている。現存在という存在者の存在論的な脱自-転化の問題は〈不安〉-〈無〉の「送付(Verweisung)」性の問題である。

1927年では、〈不安〉(不安の無)は「現存在の根本体制」としての「世界-内-存在」そのもの、つまり「現存在」に直面させる。特徴的なことは、この不安は現存在を他のすべての存在者と対照して現存在それ自身に向かわせるということである。「不安の無」という場合の〈無〉は、ここではあくまでも「世界-内部的手許存在者の無」に限られており、この無は、かえって「世界-内-存在」としての「現存在そのもの」に向かわせる無だったのである。「『世界の〈無〉』は世界を抹消するのではなく、世界に従属し、世界へと還帰させ、世界に直接直面させる」(247)。つまり、「世界-内-存在」としての現存在に「直面させる」。

ところが1929年では、不安の対象はすべての存在者にまで拡大されている。というより、〈無〉は「存在現象への送付」(249)−存在者の無ではなく、存在の無としての−を意味することになる。マリオンは、次の二つの(「二つしかない」)ハイデガーのテクストをあげる。「存在者の存在において、〈無〉の無化することが生起する」。「〈無〉は、存在者に漠然と向き合っているのではなく、存在者の存在に帰属するものとしておのれを露呈する」。「相依相属する」と言わば近似的に言われていたにすぎない〈無〉と〈存在〉とのこの関係は、1943年(『後記』)では「(…)無は存在として現成する」「人間は存在を無の内で学ぶことを経験する」(249)と言われ、1949年(『序論』)には「(…)無と存在とは同じもの(Das Selbe)」とまで言われることになる。

もともと「世界-内-存在」としての「現存在そのもの」、あるいは「現存在の自己」に向かわせるものだった〈無〉が、最後には「存在一般」としての「存在」への「送付」の役割を担うことになる。

〈無〉の「解釈」のこの変化は、不安の〈無〉が単に(「存在者」としての、あるいは「存在者の存在」としての)「現存在の自己」に差し向けるだけで、「存在一般」としての「存在」へと送付しないこと、つまり「存在」への、現存在の「不安の無」による脱自的な転化の不可能なことに関わっている(とマリオンは考える)。「〈無〉が現出するにしても、その〈無〉は無差別の仕方でしか現出しないであろう。というのも全体における存在者の無差別こそが〈無〉を生み出しているからである。(…)〈無〉の自閉的沈黙は、その無差異化以外の何も言うことができず〈無〉以外の何も言うことができない。(…)何も言うことができない以上、それは〈無〉を言うことすらできない。(…)〈無〉が沈黙するとき−すべてのものとおのれ自身について沈黙するとき、いかにして〈無〉を存在と同一視するのか。(…)〈無〉の沈黙する無差別化は、そのものとしてはいかなる他者にも通じることはできない。ましてそれを存在と名指すことはできない」(273・274・275)のである。「〈無〉を存在として解釈することの困難」(255)とマリオンは言う。

〈無〉の「自閉的沈黙」を介在させる「良心の呼び声」に反して、ハイデガーは「無を存在として解釈するため」の「最後の上訴=呼び声(Appel)」(256)として「存在の呼び求め(Anspruch des Seins)」(『後記』)に、20年に渡る解釈の転換点を求める。「〈無〉から存在への移行は存在から生じるのであって、〈無〉や存在者から生じるのではない(…)ただ存在のみが存在へと呼ぶことができる」(257)のである。

現存在は「おのれの存在においてこの存在そのものへと関わりゆく存在者である」という『存在と時間』での周知の規定は、ここで新たな解釈を要求する。それは、現存在という存在者内部での(「本来性」と「非本来性」との差異の内での)遊動性であるよりは「存在の存在自身との遊動的賭けを露呈させる」(272)ものとして考えられるべきなのである。ハイデガーは「存在の問い」にとっての現存在の存在者的-存在論的優位の議論のコンテクストに後の註記で論及し、「誤解を招く。現存在が範例的であるのは、存在が差し向ける『傍らで-戯れること(Bei-spiel:contre-jeu)』を現存在が響鳴的に遊動させるからである」(193)と言っている。

しかし、もしそうであるとすれば「自己自身であるか、または自己自身でないかという可能性」としての現存在の自己(=決意性としての自己)であることは、自己の自己自身との差異(「自己であらざることの可能性」)として、つまり、存在の〈そこ〉としての現存在の〈自己〉との差異として考えられないだろうか。言いかえれば「自己であることは、おのれの存在において存在そのものの遊動化を展開することと同じである以上、自己であらざることの可能性は存在そのものの呼び声を無力化することと同じではないだろうか」(272)。存在の自己遊動は現存在の自己を、むしろ存在から解放するのである。

しかし現存在の(存在論的な)単独性(自己から自己へと呼ぶ)をはなれて、単独性の外(〈存在者〉としての現存在の他者である〈存在〉)としての「存在の呼び声」を議論することそれ自体、非現象学的な(非存在論的な)逸脱、つまり非現象学的な「幻想」(272)に過ぎないのではないか。

むろん「無についての存在論的解釈学は挫折することがありうる」(261〜262)とマリオンは言う。「存在者については、それが不安の内で(われわれに)もはや何も語らず、呼び求めもしないと言うことがすでに明らかになっている。そこで今度は、存在それ自身がもはや空しく(われわれに)呼び求めるだけだという可能性が浮上する。というのも存在もまた、もはや(われわれに)何も語らないことがありうるからである」(262)。不安の無における「存在者的無規定性よりもさらに根源的な無差別」が、ここで考えられねばならない。「存在の呼び声」は、ここではむしろ存在論的差異そのものの無差別(Indifferenz)、存在論的差異そのものに対する現存在の無関心(Indifferenz)を意味することになる。それは、結局、一存在者(現存在)の存在を「存在一般の意味」に架橋する現存在の存在者的-存在論的優位に対する無関心(Indifferenz)、つまり現存在のおのれの存在に対する無関心を意味している。この無関心において現存在は、おのれの存在に退屈しているのである。不安現象において露呈する世界-内-存在としての現存在の自己性とは対照的に、この退屈において現存在は「おのれの存在者性との距離によって作られたおのれ自身との隔たりに身を置いている」(264)。

この「隔たり」(「枢要な差異」220)は、不安における存在者の無規定性の無を意味するのではなくて、存在者の〈空虚〉を意味する。〈空虚〉は〈無〉と同じものなのではない。それは「あたかも何ものも存在しないかのように」−ある種「パスカル的に」(マリオン)p.66, Revue de Metaphysique et de Morale, N。1/1991(以後、RMM と略す)−、そして「まとわりつく霧のように」存在者を無化しつつも無傷に残す(268)。つまり〈空虚〉において、現存在は存在者(存在すること)に退屈しているのである。

マリオンが不安における存在者の〈無〉に対照させて退屈における存在者の〈空虚〉を言うのは、ユダヤ-キリスト教的な〈創造〉概念のモチーフが根底に潜んでいる。「全体がそのものとして、また空しいものとして現出するのは、全体がまずもって創造として現出しているからに他ならない。(…)確かに、創造と空虚さとは完全に一致しはしない。しかし、全体を創造として指し示す視点が生じていないならば、全体が空しいものとして現出してこないこともまた確かである」(『存在なき神』)。言いかえれば「退屈が空虚さを刻印する全体」は「全体における存在者、つまり存在者としての全体」と同じものではない。現にヘブライ語には「存在する−ある」に厳密に相当するものがないし、また、同じく伝統的に「空(空虚)」と翻訳されてきたヘブライ語の hebhel は、「無」と翻訳できない。「この語が強いるイメージは、煙や霧、あるいは息吹なのである」とマリオンは指摘している。「人間は息吹(hebhel)に等しく、彼の日々は消散する影に等しい」(『詩篇』)。

この世界の空虚性は、フッサール的な自我にとっての世界の相対性の認識と重なっているというのが『存在なき神』(1982)から『還元と贈与』(1989)に至るマリオンの議論の隠れた結線である(217)。マリオンにとって「還元」と「贈与」は、現象学的創造論とも言えるものの二契機なのである。逆に考えれば、ハイデガーの〈世界〉論が屈折にみちているのは、ユダヤ−キリスト教的創造論の契機なしでそれを展開しようとしているからだと言える。

もともと、還元は「世界が存在するかしないかに関しての普遍的エポケー」(フッサール)である(219)。言いかえれば、世界は、現象学的「自我にとって」の「徹頭徹尾相対的な存在」でしかない(217)。とすれば、エポケーとしての現象学的還元は世界の存在-非存在(無)に先行する世界の〈空虚〉を開示する。〈世界〉に、あるいは世界-内-存在としての現存在の(存在論的な)自己存在(Selbstsein)に退屈するとき、〈自我〉は現象学的還元を遂行しているのである。フッサール的自我は退屈する、つまり世界を空虚化する自我である。

フッサールが意識の実在主義(=心理主義)を「超越論的私」へと還元し(第一の還元)、ハイデガーが「存在の意味」を問いつつ現存在の存在を「非力(空虚)なもの(nichtig)」とする(実存論的・存在論的還元:第二の還 元)とき、還元の空虚性はもはや明らかだったと言える。

最後の還元(「第三の還元」)がなされねばならない。それは、結局のところ世界の空虚性を存在論的に(=世界内的に)隠蔽する現存在の存在を「遊動化する」(272)こと、つまり現存在の存在を空虚化し、現存在を存在論的頸木から解放することをいみしている(225)。世界を相対化する現象学的自我は、それ自体「存在する」自我なのではない。還元された世界が存在しないとすれば、還元する自我もまた存在しない。言いかえれば、退屈する自我は存在論的な(差異を実現する)「労働者」としての現存在に退屈しているのである(「人間の労働はもはやいかなる差異もなさない」in『存在なき神』)。この「労働」(178)は、存在者を現存在のウム・ヴィレン(Umwillen seiner)において世界内的に有意義化する(bedeuten)ものであったが、もはや存在者は「世界の外」−つまり、存在者との超越論的な同一者としての存在の外(224)−から「与えられた」存在者、つまり空虚な存在者である。

「還元」と「贈与」は、反存在論的な〈退屈〉−〈空虚〉概念を媒介にしている。マリオンが現存在の「遊動(jeu)」性という『存在と時間』にはない言葉を使うのは、後期ハイデガーの言葉(Spiel)を前提しているのではなくて、むしろ『存在なき神』におけるユダヤ-キリスト教的な「空虚」概念を共鳴させるためである。グレーシュ (J.Greisch)が、マリオンの「贈与」論の展開において「es gibt に関するハイデガーのモチーフへの参照が全くないのはどうしてなのか」(p.57, RMM)と反問するのも、「贈与」の退屈(パスカル)-空虚論的展開としてのマリオン独自の位相を見落としていることからきている。「還元が還元すればするほど、還元は贈与を拡張する」(288)と言われたのは、還元によって存在者の空虚性が拡大し、存在者が現存在のウム・ヴィレンによって(世界内的に)根拠づけられる−「非力な(空虚な nichtig)根拠」「根拠の自由」(『存在と時間』)、つまり脱自的な根拠としてであれ−のではなくむしろ存在者の、「世界の外」からの贈与性が拡大するからなのである。というよりマリオンからすれば「世界の外」からでないようないかなる「贈与」もありえない。

贈与性の〈そこ〉としての現存在(Dasein)の「遊動性」(=空虚性)は、したがって「あらゆる脱自−志向性と「先駆的決意性」のそれをふくめ−の反対物として理解されねばならない」(283)。というのも「脱自はなるほど主観をそれ自身の外に設立するのだが、それが主観を外化する際、必ず主観のみから出発し主観それ自身へと回帰するように主観を設定している」(283)からである。

この「存在する」主観、つまり「自足的な」主観は、結局のところ求知(哲学)philosophy の始まりとしての「驚異の情」(プラトン−アリストテレス)に「身を委ねること」(270、277)ができない。ハイデガーにとって「驚異中の驚異」であるのは「存在者が存在するという事実」であるが、むしろそのように驚異に「身を委ねること」の遊動性(=現存在の空虚性)こそが存在論的事実に先行しているのである。というのも「世界の外」に面するものでないようないかなる「驚異」も考えられないからである。「贈与」の現前性は、驚異の現前性において最も拡大された形式を得るとマリオンは考えている。「存在の呼び声」に「不意を突かれること」は、それゆえ「世界の外」からの呼び声に「身を委ねる」ことの遊動性(空虚性)を前提しなければならない。この呼び声それ自身に身を委ねることの遊動性(空虚性)をマリオンは「呼び声の純粋形式」−ハイデガーが〈呼び声〉を「存在の」呼び声に限定することによって隠蔽しているものは呼び声そのものの「純粋形式」である−と言う。それは「贈与(se donner)」と「専心 (s'adonner)」との「驚異」における唯一の絆(現前性)である。現象学的な現象性は、呼び声の来着性 (Ansprechen の An-)に由来している。ダーザインのダーは、存在の〈そこ〉である以前に呼び声が〈私を〉召喚する〈そこ〉なのである。つまり呼び声は、退屈において遊動している「私を(me)」呼ぶ、あるいは「私に(me)」呼びかける。

●呼び求めは〈私を(me)〉呼ぶ。私がまだ〈私は〉と言いえないうちに、すでに呼び求めが私を呼び捕らえ、私を把捉し包含してしまっている。なぜなら、呼び求めが私を一人の〈私を〉として名指し命令しているからである。実際、私は呼び求めに対して「〈私(を)〉ならここにいる。語りたまえ」と応答する以外のどのような応答ができるだろうか。この応答において、私はもはや〈私は〉の資格で(私を)語る必要はなくなる。呼び求めのみが卓越的に語っている。呼び求めは私から〈私は〉の資格を奪い、私を〈私を〉の地位に任ずるのである。(278〜279)

現存在の脱自は依然として〈私は〉の述語的従属において考えられているため、「世界の外」からする「呼び声の純粋形式」、つまり〈私を(私に)〉の遊動性を露呈させることができない。マリオンは、「最終審級(appel)における主体」(p.77, RMM)を〈私を(私に)〉の主体性(「言い渡された(不意を突かれた)者」−ハイデガーの「呼びかけられた者(Angesprochene)」のマリオン訳)として提示し、『還元と贈与』を終えている。むろんこれはハイデガー解釈の問題−ハイデガー研究からすれば、呆気にとられる解釈かもしれない−というより、多分にフランス的な文脈でのできごとと言える。

一方で、レヴィナスの〈他者〉論が存在し、一方でアンリの〈生〉の(自己触発的な)〈内在〉論がある。ラリュエル(F.Laruelle)も指摘しているように(p.34, RMM)、マリオンの〈私を(私に)〉は、レヴィナスの〈他者〉に対しては、〈私を(私に)〉の私性の内在性を、アンリの〈内在〉に対しては、〈私を(私に)〉の非充足性(超越)を対置する点で戦略的な性格を有している。退屈論を前提にしつつ〈呼び声〉、〈私を〉を展開する最終章の結部の議論が幾分甘くなるのは、その点で仕方のないことなのかもしれない。しかしマリオンのこの試みは、現象学の人称性(人間性?)を、ハイデガーとは異なる仕方で、つまり存在論的な仕方とは異なる仕方で問うこと、言いかえれば、デカルト−フッサールの自我論とハイデガーの存在論を、現象学を踏まえつつ融合する試みの開始点になるのかもしれない。「贈与」論がいわゆる後期ハイデガーにことさらに触れられずに議論されるのは、(ユダヤ-キリスト教的モチーフもさることながら)現象学的〈私(moi)〉性のモチーフをマリオンが捨てようとしていないからなのである。問題は解決されたというよりは、むしろ新たな仕方で提起されているのである。


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ジャン・リュック・マリオン(Jean-Luc Marion)は、1946年生まれ。最近日本の研究者達によって編集・出版された『現象学事典』(弘文堂・1994)にも単独の項目(人名)で出ている。そこには「宗教哲学者」(?)とまず真っ先に規定されており、「ハイデガー存在論に依拠した独自のデカルト解釈で注目を浴びる」とされている。P.U.F.の『哲学者辞典』(1984)のマリオンの項目では、「マリオンの研究のはっきりと区別される二つの方向」が指摘されている。一つは、「哲学の歴史」についての研究であり、それは初期のデカルト論、今回紹介した『還元と贈与』に代表される。それとは別に「啓示の神を哲学的に位置付ける」研究の方向があり、それは『偶像と距離』(1977)、『存在なき神』(1982)に代表されている。フランスの事情に特に詳しくはないわれわれは『還元と贈与』を翻訳中に『存在なき神』を読む機会を得たが、『還元と贈与』の幾分押さえた調子の文体とは異なり、『存在なき神』の伸び伸びとした筆致に驚いたことがある。まるでデカルト論や『還元と贈与』のマリオンは、“研究者”をまとった仮初のマリオンであるかのようだった。『還元と贈与』は真面目に読まれるべきではない。というより、マリオンの遠い(あるいは近すぎる)視線をたえず意識していなければ理解できないのかもしれない。

ここでは彼自身による−マリオン自身が我々の要請に応じておくってくれた−略歴を紹介しておく。エコール・ノルマル・シュペリュール(パリ高等師範学校)を1971年に卒業。哲学教授資格取得(1971)。パリ第4大学(ソルボンヌ)助手を経て専任講師(1972〜1981)。同大学で論文「デカルトの『精神指導の規則』」によって第三課程博士号取得(1974)。さらに同大学で論文「デカルトの思惟における知の根拠」によって国家博士号取得(1980)。その後ポワチエ大学教授(1981〜1988)。カトリック・ルーヴァン大学哲学研究所正教授(1987)。現在、パリ第10大学(ナンテール)教授(1988年以降)。その他の活動としては、パリ第4大学(ソルボンヌ)デカルト研究センター学術担当(1973年以降)。「エピメテ」双書(P.U.F.)編集長(1981年以降)。『17世紀』『哲学研究』『哲学』『ハイデガー研究』各編集委員。パリ第10大学(ナンテール)哲学科主任(1990〜1991)。エコール・ノルマル・シュペリュールD.E.A.セミナー担当(1990年以降)。『存在なき神』によりアカデミー・フランセーズ・アンリ・デマレ賞受賞(1982年)。1992年にアカデミー・フランセーズ哲学大賞受賞。書誌(マリオン自身による)については別項参照のこと。

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翻訳のきっかけは、早稲田大学大学院で高橋允昭先生の指導の下に『声と現象』を講読しているときだった。複雑で難解で、しかも戦略的だと言われるデリダのテクストではあるが、少なくともフッサール理解に関してはあまりにも早く決着をつけすぎているように思われ、不満を感じないわけにはいかなかった。そんな我々−訳者一同は高橋先生の講義の薫陶を受けた者ばかりである−には「突破と拡大」は時宜を得た論文だったのである。恐らく高橋先生はマリオンのデリダ解釈を受け入れはされないだろうが、新しい世代のデリダの読者のためにも紹介される必要は認めてくださるだろう。

翻訳作業は、各章を個々人に分担し訳了したものを共同して手直しするという形式をとった。最初の個人訳(各章訳)は一ケ月ぐらいで出来上がったが、脱稿までの手直しに二年かけたことになる。むろん最初の個人訳は今と比較して跡形もないものになった。句読法・文体等の形式的な調整は芦田の責任において行ったが、翻訳自体は文字通りの共同訳と言ってよいものである。校正にも一年をかけてしまい、一校、二校 … と進む度に冷や汗をかくような誤訳に出会うこともしばしばで、今でも永遠に校正をし続けたい気持ちに変わりはない。経験則的に言って、誤訳はないと言い切れないからである。脱稿・出版は、清水の舞台から飛び下りる覚悟に等しい。読者の方々のご叱正を(そっと)仰ぎたいところである。

原著者、マリオンにも何度となく手紙のやり取りをし、原著の誤植箇所の確認はもちろんのこと、不明箇所についての質問にも丁寧に答えていただいた。さらに望外なことに、貴重な書誌一覧を贈っていただいて感謝する言葉もない。今となってはマリオンの期待を裏切らないことを祈るばかりである。

また早稲田大学ニーチェ研究会の田中端(早稲田大学政治経済学部)さん、芦沢昌彦(学習院大学大学院)さんには校正、索引作成など細々とした作業を手伝って頂いた。形式的な作業にとどまらず、ときには読者代表として貴重な訳文批評もいただき、二重三重のご協力に感謝している。

最後となったが、行路社の沢田都仁さんには(『書物の時間』以来)今回も大変ご迷惑をかけてしまった。特に校正に手間取り、さらに時間をかけたわりには出来栄えが … と思うとあわせる顔もない。我々の訳業を暖かく見守って頂いた沢田さんの“寛容”と“忍耐”がなければ、この訳業は日の目をみることがなかっただろう。ここ何ヶ月か校正・編集の雑務に追われて不愛そうな返信しかできていなかったが、この場を借りて感謝、いや深謝しなければならない。


1994年初夏     訳者を代表して 芦田宏直


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