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356 10/25(月)
13:58:03
 今日の朝礼 ― 新潟大震災に思う  メール転送 芦田宏直  3361 

 
今日は久しぶりに朝礼の当番が回ってきました。話したことをメモにして残しておきました。以下はその簡単なメモです。文章にはなっていませんが、意味は分かると思います。


新潟は大変な災害に見舞われている。

災害は非日常時のように見えるけれども、実際はあたり前のことを教えてくれる。

生活するには屋根がいるし、水がいる、トイレも必要。水がなければトイレも機能しない。
川のそばも危ないし、山際も危ない。

災害は日常生活にとって端的な〈外部〉のように見えるが、実は内部そのもの。忘れ去られている日常性(常にすでに存在しているもの)が露呈するだけのこと。

ドイツの哲学者・ハイデガーは Vorlaufende Entschlossenheit(フォアラオフェンデ・エントシュロッセンハイト) ということを言った(普通、このドイツ語は「先駆的決意性」という堅い言葉を使って訳されている)。この語の元々の意味は、先行的に=前に(vor)走って(laufen)、閉ざさずに鍵を開けておくこと(ent-schliessen)を意味している。

結果が起こってから、「大変だ、大変だ」と叫ばない。結果が起こるよりも前に走ること(vorlaufen)、日常的に起こることに目をふさがないで、いつも鍵を開けて開放的にあること(ent-schliessen)。これが「先駆的決意性」という語のさしあたりの意味である。

このことの意味は、災害に日常的に備えなさい(あるいは病気や死に備えて健康に配慮しなさい)ということではない。

そういった防災論(健康論)は、依然として災害や病気を〈外部〉のもの、非日常的なものと見なしている。まだ事は起こっていない、まだ猶予があるという防災論(健康論)にすぎない。

しかし〈外部〉(や非日常)はいつでも〈内部〉にある。

最近、わが学園の学生募集状況を見ても、建築系が堅調に推移している。
特にマーケットが変化したわけでもないし、広報や募集が上図になったわけでもないのに、堅調だ。

普通マーケットは気まぐれで曖昧で把捉不可能な〈外部〉だと思われている。そして、専門学校の建築系を取り巻く環境は決して明るくはない。

しかし学校〈内部〉では、「建築系ちょっと頑張っているじゃないの」という声が少し上がるようになってきた。

この「ちょっと」というのが大切だと思う。

要するに、それは誰かの内部の解説や説明によって、建築科がすごい、というのが「わかった」、ということではなくて、なんとなく建築科をとりまく内部の雰囲気(学生の様子、先生の様子、授業の様子、就職の様子など)が良くなってきたということだ。

ことさらに肩を張って「教育改革の成果だ」などと言わなくても、なんとなく雰囲気が変わってきた、ということが本来の成果でなくてはならない。

ハイデガーは、この雰囲気を「Befindlichkeit(ベフィントリッヒカイト)」と言った。この語は日本語では普通「情状性」「情態性」と訳されたりしているが、日本語で言えば、かぎりなく「気分」や「雰囲気」に近い言葉。

ハイデガーは、この「Befindlichkeit(ベフィントリッヒカイト)」を人間の理解能力の中で一番高位に置いた。理解の射程が一番広い(事柄の本質に届く)能力として、この「Befindlichkeit(ベフィントリッヒカイト)」を上げた。

要するに、気分や雰囲気には外部も内部もない(私もあなたも彼もない、そのようにはまだ分離していない)。あるいは外部でもあれば内部でもある。「Befindlichkeit(ベフィントリッヒカイト)」に外部も内部もないのである。それくらい広い射程を担っているのがハイデガーの「Befindlichkeit(ベフィントリッヒカイト)」という言葉。

内部でことさらに「方針」とか「戦略」とか「マーケティング戦術」の「徹底」とか大声を出して言わなくても、なんとなく(=「ちょっと」)「これいいんじゃない」という感じ(Befindlichkeiit)が広がってくれば、それは必ず成功する。その「Befindlichkeit」はそれ自体で外部「である」。

「先駆的決意性」の「決意」=「鍵が開かれてあること」は、「Befindlichkeit」の開放性にある。気分はどんな方針や戦略・戦術よりも「先んじて(vorlaufen)」外部としての市場(マーケット)に開かれている。

「コアコンピタンス」の形成というのは、組織の「気分(Befindlichkeit」」にまで高まらなければ意味がない。「明確さ」「整合性」「わかりやすさ」、そういったものは、まだまだ組織の力にはならない。それらは、むしろ組織の真の問題を忘れさせてしまう狭いおとりにすぎない。「備えあれば憂いなし」のレベルの意匠にすぎない。

そういったできあいの内部、できあいの外部に惑わされずに仕事をしましょう。新潟災害を見て、(他人事のように)大変だなぁ、などと言っているようでは仕事は先に進みません。わが組織は毎日が新潟災害です。それが今日の朝礼の言葉です。


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