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353 10/11(月)
22:27:40
 デリダ追悼(3) ― デリダと『現代思想』  メール転送 芦田宏直  4692 

 
私が、デリダの論文を最初に読んだのは、『竪坑とピラミッド』というヘーゲルの記号論を論じた論文。1973年『現代思想』創刊号(青土社)に収められていた(私は当時19才)。その時の私には、デリダよりもこの青土社の『現代思想』(http://www.seidosha.co.jp/genre/siso.html)の方が衝撃的だった。

当時、私が読んでいた思想誌は、岩波の『思想』(http://www.iwanami.co.jp/shiso/)、理想社の『理想』(http://www.washin.co.jp/honya/home/s_infos/650.html)、情況出版の『情況』(http://www.arsvi.com/0m/j.htm)、筑摩書房の『展望』(http://www.chikumashobo.co.jp/company.html)あたりだったが、この青土社の『現代思想』は、すでに表紙のデザインからして斬新で、紹介する思想の新しさという点では圧倒的だった。

特にフランスの『アルク』誌と提携してフランスの「現代思想」の紹介を精力的に行ってきたのが、この雑誌の特長。のちにフーコー(http://www.nakayama.org/polylogos/philosophers/foucault/)、ドゥルーズ(http://www.logico-philosophicus.net/profile/DeleuzeGilles.htm)、デリダ(http://www.miraisha.co.jp/derrida/)、あるいはラカン(http://d.hatena.ne.jp/keyword/%A5%E9%A5%AB%A5%F3)といったサルトル以後の現代思想をリードする思想家たちをほとんどリアルタイムで日本の読者に紹介してきた。創刊号では、その代表選手としてくしくもデリダのみが紹介されている(この3年前にわが高橋允昭の『声と現象』(理想社)が翻訳されていたが、ほとんど売れていなかった)。

この雑誌の2代目の(?)編集長である文芸評論家の三浦雅士(http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BB%B0%B1%BA%B2%ED%BB%CE?kid=10830)、『構造と力』の浅田彰(http://d.hatena.ne.jp/keyword/%c0%f5%c5%c4%be%b4)、初期の栗本慎一郎(http://www.authority.ne.jp/asp/profile.asp?T=205)などは、この雑誌のあだ花でしかない。

何が、この雑誌の新しさだったのか。当時の日本の思想界は、依然としてマルクス主義の旋風の中にいて、70年代の前半は、たとえば、廣松渉(http://www.arsvi.com/0w/hrmtwtr.htm)の『ドイツイデオローギー』論(河出書房版『ドイツイデオロギー』。今は岩波文庫http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003412435/249-5803020-1877907で手に入る)が騒がれている頃だった。70年安保にも無力であったマルクス主義の停滞に対して、エンゲルス主義からマルクスを擁護したり、初期マルクスの疎外論(反スタ運動の原理)から後期マルクス(物象化論)を擁護したりしていたのが廣松渉のすべてだったが、当時の日本の学生たちは(私も含めて)、いまだなおマルクス主義の影響下にあって、廣松やフランクフルト学派(マルクーゼ、ハーバーマス、アドルノ、ホルクハイマーなど)に頼りながら、マルクス主義をなお護教的に擁護しようとしていた。

フーコー、ドゥルーズ、デリダたち(=『現代思想』)が新しく見えたのは、こういったマルクス主義の尻尾から完全に断ち切れたところで出発していたからである。何がマルクス主義の尻尾だったのか。それは、〈自由〉や〈主体性〉という近代的な概念をまだなお信じて、マルクス主義を近代的(近代主義的)に蘇生させようとしていたということだ。反スターリニズムのあだ花がマルクス主義の残党たちを遅れてきた近代主義者にしてしまったのである。この情況が(10代後半の私自身の現状も含めて)70年代の左翼中毒症の現状だった。(この記事まだまだ続く)


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