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195 9/19(金)
16:46:04
 校長の仕事 Part8 ― 教科書内の図版の説明  メール転送 芦田宏直  8718 

 
 本日(9月19日)の授業。インテリア科の斉藤先生の授業(「人間工学」という科目の「人間工学のインテリア計画への応用」というコマ目標授業)と建築工学科(「集合住宅の基本設計」という科目の「各部屋の福祉住環境対策(1)」)の小林先生の授業。どちらも既成の教科書を使った授業だったが、どうしても教科書に目を落としがちになる。学生はもちろん下を向いたまま。読み上げる場合は当たり前だが、図版を見る場合もそうなる。教員が自分で図版を見ながら解説する場合は、ずーっと目を落としたままになる。学生が見てほしいところを見ているかどうかはその姿勢ではわからない。どこを見ていいのかわからない学生がいることもわからない。学生の理解度がはかれない(学生は熱心に教科書を見てはいたが)。これではまずい。

 この授業のやり方では、国語の朗読授業のように文字(テキスト)が対象なだけの場合は、まだ何とかなるが、図版の場合には致命的だ。たとえば教科書に記載されている間取り図などを参照しながら授業を進める場合、間取り図のどこを見て授業を聞いていればいいのかは直ちには把握できない。話を(言葉として)聞きながら、指示箇所の見当をつけるという授業参加の仕方になる。これでは余分なところに気を遣う(使わせる)授業になってしまう。というか当該箇所を探している内に解説が終わっている場合もある。とんでもないことだ。教員の方でも、「右下のここを見て」とか「左上の黒く網がかかったところを見て」なんて、余分な言葉をいちいち挟みながらの授業になる。これでは、授業内容そのもの(教えたいこと)への集中が殺がれる。

 参照性の高い授業をやろう、というのがわれわれの授業方針の一つだった。授業の中で、どこどこを見て下さい、と教員が指示する局面はいくつもある。そのたびに、「右の上」とか「左の下」、「頁の真ん中あたり」「そこ」なんて言っていたら、いくら時間があっても足りない。何よりも授業の流れを寸断する。そこで、われわれは、文字中心の自主資料を配る場合は、ワード(MS-WORD)の「通し行番号」という機能を使って(「ファイル」→「頁設定」→「その他」→「行番号」→「行番号を追加する」→「連続番号」)、A4用紙の左端に頁をまたいだ「通し行番号」を打つようにした。こうすると、教材テキストを指示する場合、行単位で指示できるため、ただちに参照が可能になる。行番号がついているだけで、指示のための無駄な時間が90分中、10分は稼げる。ただちに全員がそこを見るようになる。

 図版を指示する場合には、それが難しい。資料を配る前に矢印記号(→)に通し番号を打って、たとえば「2番の矢印を見て」と言うようにすれば大分事情は変わるだろうが、それでも、その時々に思いついた参照指示はできない。授業では、前もって考えていたことと別の説明が生じることがいくらでもあるから、矢印記号を打っておくだけでは間に合わない。

 したがって、テキストの中にある図版を参照しながら解説をする場合には、プロジェクタに投射するしかない。教科書の図版部分をスキャニングしてパソコンに落とし込むか、コピーしてプロジェクタ投射すればいい。こうすれば、みんなが顔を上げた授業になるし(学生の顔を見ながらの理解度確認が的確にできる)、集中性ははるかに上がる。

 手間ではあるが、たいした手間ではない。「ここをみて」「あそこをみて」と何度も知的でないトークを繰り返すことの方がはるかに手間だ。そもそも教員も学生も全員が目をテキストに落としながらの授業なんて、日曜の教会の礼拝じゃあるまいし(別にキリスト教徒に恨みはないが)、ほとんど意味がない。そもそも高等教育で、既成の教科書を逐次的に参照すること自体がナンセンス。この本一冊の中には、こういったことが書いてある、と一言で教えられるくらいにならないと、一頁に書いてあること自体もきちんと教えられないにきまっている。それが高等教育における専門性というものだ。授業のトークをインテリジェンス(=専門性)で埋め尽くすような授業をやってほしい。


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