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 番号 日付  題名 投稿者 返信数  読出数
166 6/22(日)
23:41:44
 TOSWORD、電子手帳、MS-DOS、インターネット、ザウルス  メール転送 芦田宏直  6122 

 
ザウルスで卒論や修士論文を読めるというのは、感慨深い。私が、初めてワープロで文章を書き始めたのは、結婚の年の翌年、1983年だった。初めてのワープロが個人利用のために作られた記念すべき、東芝TOSWORD・JW-1 (http://homepage1.nifty.com/kyosuke/works/machine.html)だった。「ワープロ」という言葉を作ったのも東芝だ。たしか九州大学の研究室と一緒になってかな漢字変換の開発を進めていたのが、TOSWORDだった。このJW-1は、個人用初代機にもかかわらず、優れていたのは、かな漢字変換の精度、そして1ファイル名で保存できる文書容量だった。400字詰め原稿用紙35枚程度が1ファイル名で保存できる文書容量だった。この容量は長い間破られることがなかった。当時は原稿用紙3枚〜8枚程度がほとんどだった。文書容量という点では、パソコンワープロは有利であったが、1980年代の前半はパソコンで漢字を出すということがまだ不可能な時代だった。しばらくして『松』というソフトによって、比較的精度の高いかな漢字変換ができるようになっていたが、東芝の専用機には全く勝てなかった。

私が、有り金全部をはたきながら(たぶん早稲田の文系の学生、教員の中では一番早い利用だったのではないか)ワープロに可能性を見出したのは、考えることと書くこととの距離をワープロが一気に縮めたからだ。人が文章を書きたがらないのは、頭の中での思考の秩序はほとんどカオス状態。前後や長さという感覚が全くないまま浮かんでは消え、消えては浮かぶという流動性に満ちているのに、書くことは、整然とした秩序や構成を強いられる。最初の書き出しは最後を規定しはじめる、書けば書くほど不自由さは積もっていく。頭の中の思考を書く(書き“出す”)というのは、ハンコを押すようにして頭の中から思考が表出されるのではなくて、かなり矛盾した不自由さを体験するということだ。

ところが、ワープロではそれがなくなった。ワープロは考えなくても書ける。前後や長さは、“あとで”整理すればいい。前後も長さも、目の前に書き出された短い文章の数々(思い浮かんだ文章の数々)をもう一度見直しながらゆっくり整理することができる。「コピー」や「貼り付け」、「移動」や「削除」というのは、単なるコンピュータの操作上の用語なのではなくて、実は純粋な思考活動の用語なのである。つまり脳内過程がそのままメディアになったのもの、それがワープロというメディア(思考メディア)だった ― その歴史的な事態をまとめたものが私の1995年の『ハイパーテキスト論』(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=30)だった。

ワープロが出た1980年代前半は、ワープロは清書機としか考えられておらず、「これで字の下手な人も文章が書けるようになるよね」としか言われていなかったが、そうではない。多分、どんな人でも80点以上の文章が書ける時代が到来した、というのがワープロ登場の歴史的な意味だった。それまではほとんどコンピュータと無縁だった私の生活も一変したのである。ワープロの快感と並んで、80年代後半からは電子手帳、90年代前半からはザウルス、90年代中盤からはインターネット。これがコンピュータ「ユーザー」としての私の遍歴になる。

一番混乱した時期は、ワープロ専用機からパソコンワープロへの移行だった。TOSWORDやRUPOなどの新製品を買い換え続けてきたが、90年代前半には『一太郎』も立派に成長して、もはや改良版=新製品という馬鹿な出費(専用機の最大の欠陥)に耐えられない私は、清水の舞台から飛び降りるつもりでパソコンに転向していった。当時は、フルテキストデータベースの興隆期でもあり、私もMACのOCR(光学式文字読み取り)ソフトを使って、ドイツ語ハイデガー全集のデータベース化(MS-DOS版)を自力で作成しはじめ、一時は岩波書店から出版するところまでいったくらいだ。このデータベースを利用しながら文章を書き進めること、それが私の夢だったが(たわいのない夢だが)、そのためには、クローズドなワープロ専用機は全く役に立たないということが、専用機を離れた最大の理由だった。インターネットの興隆期であったことも含め、オープンデータベースをフル活用した文章作成というイメージには、ワープロ専用機はほど遠いものだった。ややこしいのは、専用機からパソコンへの移行期は、同時にMS-DOS(あるいはMAC)からWindowsへの移行期でもあったということだ。

だからこの過渡期の私の書斎机の上には、三つのモニタ(+テレビ)が並ぶことになる(写真参照のこと)。一番右がWindowsコンピュータの17inchモニタ。真ん中の縦長モニタがTOSWORDワープロ専用機(右隣はテレビ)。左端の21inchモニタ(21inchもあるのに解像度はVGA!)がMS-DOSコンピュータ(主にはハイデガーの文献データベース専用機)。ワープロ専用機を1980年代前半から評価してきた人間の1990年代初頭の机の上は、ほとんどの場合こういった“惨状”を呈していたはずだ。キーボードはなんと三つもあったことになる。

この三つのコンピュータで別々に作成され、利用されていたデータベースが、21日に発売された小さなザウルス(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=165)で、すべてできるようになっている。たぶん一千万円近く投資されてきた私の文書データベース体制が、6万円前後の“電子手帳”の中に収まってしまう。こういった圧縮性が、この時代の〈変化〉のすべただ。ユビキタスといい、ザウルスといい、学生時代にこんな環境であれば、私の“人生”は変わっていたかもしれないが、1980年代からの(“コンピュータ機器”への)私の追随はたぶんこの世界の普遍的な諸段階(諸々の機器への“恨み”)を踏まえたものだったと思う。今さらながらに、その恨みをはらしたいという切ない思いが、“新製品”に飛びつく性向を形成している。ザウルスで、卒論や修士論文、あるいは『書物の時間』(http://www.terahouse-ica.ac.jp/ashida/)を読みながら、思わずニヤッとしてしまうのは、1980年代のばかげた出費の私なりの取り返しの仕方なのである。
 


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