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1032 4/3(日)
00:59:21
 少年よ、永遠であれ!  メール転送 芦田宏直  3266 

 
今日(4月2日)も、2005年度入学生の保護者説明会。予定を30分超えて2時間も話してしまって、みなさんにご迷惑をおかけした。我が学園の「保護者説明会」の特色は、来週7日の「入学式」の前に開催すること。学校案内パンフレットにはなかなか記載できないような学校の細かい情報(細かい教育情報)や教育方針を開示するのが、この「説明会」。よくよく学校の教育の全体を知って、入学式を迎えて下さい。安心してお預け下さい、というものだ。

どこまでご理解頂けたか不安だが、毎年、毎年、保護者の方が真剣にお話しを聞いて下さるようになってきている。大して笑いも取れない私のくそまじめな話に、2時間近くも退席一人もなく、うつらうつらする人もいない。身の引き締まる思いだ。

昨日(4月1日)は、春期教員研修会。今日は保護者説明会。7日はまだ入学式が待っている。私の年度末は、まだ終わらないし、新年度もまだ始まっていない。2004年度の教育総括がまだ不十分だし(その一端を今日の説明会でデータを示しながらお話ししたが)、それゆえ2005年度の方針もまだ定まっていない。

いらいらしながらテレビを見ていたら、NHKBSで「アトランティスのこころ」(http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail?ty=mv&id=236903)を放映していた。画面がきれいなので見続けていたら、この映画なかなかのもの。少年の傷つきやすさを上手に引き出していた。この傷心の質は「蝶の舌」(http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail?ty=mv&id=234897)に似ている。二つの映画とも展開が遅くぐんぐん引き込まれるというものでもないのだが、子役の渾身の演技に引き込まれる。かわいそうに、という同情よりは、たぶん自分の少年時代(少女時代)に身を重ねているのだ。

頼れるもの、信頼し、尊敬できるもの、それは弱い者の生きる糧であるが、そんなかけがいのないものこそが偶像であることを弱い者は気づかされる。むしろそれが弱い者であることの意味。それは〈少年〉の意味でもある。あるいは〈成長〉の別名でもある。絶望というのは、克服すべき対象ではなく、堪え忍ぶものでしかない。それが〈大人になる〉ことの本来の意味である。大人になれないものだけが、弱さ(や絶望)を“克服”して〈宗教〉や〈信仰〉に走る。私なら、少年の報われない希望に、人間の美しさを見る。〈信仰〉の反対語は〈少年〉だ。

同じように(今思い出したが)相米慎二の「台風クラブ」(http://moviessearch.yahoo.co.jp/detail?ty=mv&id=149528)も少年の殺気の中に、人間の源泉を見ていた。

「アトランティスのこころ」「蝶の舌」「台風クラブ」。この三つの映画を見れば、少年時代はロマンティックな回想の対象ではなく、われわれ大人が見ないでおこう、知らないまま、忘れたままにしておこうと忌避しているものであることがわかる。希望や敬意(そして帰依)の存在は、偶像であること、そう一番思いたくないのは、他ならぬ“大人(常識的な大人)”なのである。だから通常の意味で、少年と大人とは逆転している。そういったことに気づかされるのが、この三つの映画「アトランティスのこころ」「蝶の舌」「台風クラブ」だ。少年よ、永遠であれ。


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