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パソコン一つで世界を動かす ― 大学の情報教育は、国・公・私立大学問わず、未だに「電気通信」時代のカリキュラムにとどまっており、今日の「情報」教育に対応できていない。(Ver.1.0[教育]
(2024-03-02 17:37:03) by 芦田 宏直


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※ハードウェアとソフトウェアが一体化したメインフレーム(大型コンピュータ)と異なり、パソコンではソフトウェアがハードウェアから半ば独立し、それ自体がビジネスの対象となりました。それがビル・ゲイツの思惑でした。メインフレームはソフトウェアがハードウェアと一体化し、単一用途(企業の業務・研究用途)以外には使われることがなかったのですが、パソコンの場合、ひとつのパソコンに、異なるベンダーによって開発された多様なソフトウェアを個人が自由に選びインストールできるため、始めて自由な個人使用が可能になったのです。ジョブズは、この自由な個人の自由なコンピュータ利用のために、パソコンの小型化にこだわりました。二人の天才によるパソコンの普及以後、ソフトウェア開発技術の発展が革命的な成果を生み、現在のIT社会の基盤となったのです。

二人の認識に共通することは、パソコン(ソフトウェア)こそが、これからの人間社会の安全性・快適性・発展性を担うということだったのです。

●もう一つの言葉としてのプログラム言語と大学教育の貧困

人間の言語は、20世紀以降、〈言葉〉以外に、プログラム言語が加わりました。〈言葉〉は、人間のコミュニケーションにかかわりますが、〈プログラム言語〉は、直接機械を動かす言葉です。

20世紀以降、人間は機械にその意志を伝える言語、つまりプログラミング言語を獲得したのです。〈言葉〉の専門家には、文学者(俳句、短歌、小説、エッセイ等の作者)や法律家(法文の作成・管理者)などが存在していますが、同じようにプログラミングの専門家にはプログラマーやシステムエンジニアが存在しています。

普通の言葉は、日本語、英語、フランス語、ドイツ語などのように、民族と国家との境に分断されて、コミュニケーションの障壁になったりもしていますが、世界規模のサービス(GoogleやYahoo!などの検索サイト、Amazonのショッピングサイトなど)を産みだすプログラム言語は、民族や国家の限界を超えて世界を動かす言語になっています。さらに、その日本語と諸外国語との境も自動翻訳というプログラムによってその限界を超えつつあります。生成AIは芸術作品さえ生みだそうとしています。これが現代におけるプログラム言語の革命性なのです。

ところが、現代の大学教育は、その革命性、二人の天才が学生時代に興奮したコンピュータの面白さを伝えられるものにはなっていません。プログラムを書いて、自分でそれを動かしてみる。動かないときはもう一度作り直して試行錯誤する。動いたとしてももっと美しいプログラム、もっと処理速度の速いプログラムで動かせないか試行錯誤する。この試行錯誤がプログラミングの面白さですが、彼らが興奮したプログラミングに関する科目や授業は、日本の大学のどの学部で学んでもきわめて貧弱で、自分で作って動かして、そしてその作品を評価する、評価に基づいてさらに高次の質の高いプログラムを完成させるという面白さを学べない。

余分な科目や授業が多すぎるのです。名門国立大学、名門私立大学に進んでもソフトウェア開発のための授業は2割もない。パソコン登場以前(1960年代)の古い「電気通信」時代の教育を未だに引きずっています。ゲイツやジョブズが学生仲間と小さな部屋で日夜興奮してコンピュータに没頭した環境とはほど遠いのが現代の日本の「情報」教育です。

この学科は、彼らの興奮をもう一度大学教育に取り込むために一線級の大学教員、IT実務家を集め、「わかることが楽しい」カリキュラムを準備しています。将来性の高い、学んだことを実務で活かせる勉強に挑戦しませんか。松山で学んで世界を動かす環境情報学科の教育に注目してください。

●ソフトウェアの開発(プログラミングから設計・ソフトウェア製品開発・システム運用・管理)について全体的に学べるカリキュラムは本学だけ。
― 国立/私立大学、都市/地方大学、偏差値の高/低の違いに関係なく、この分野の授業時間数は全体の20%位しか存在していない。
世界で通用するすぐれたシステムエンジニアになろうとしたら、四つの勉強をする必要があります。

?プログラミング
?WEB技術
?データベース
?ソフトウェア工学

この四つです。現代の?プログラミングは、?ネットワーク(WEB)上で動くプログラムが書けてこそプログラミングであり、そのネットワーク上に形成された?データベースを自由自在に駆使してこそプログラミングです。そしてまたそのように書き込まれたプログラムが単に動くかどうかではなくて、その設計も含めて優れたものなのかどうかの?分析と評価ができてこそ製品として意味あるプログラムになります。

一見、当たり前のように見えるこういった四つの技術を質的にも量的にもバランスよく学んでこそ、優れた、引く手あまたのプログラマー(システムエンジニア、アーキテクト)になれるのですが、専門学校でも大学でも、これらの四つの柱を充分な時間(充分な演習時間)を確保してカリキュラム化しているのは、本学科だけです。

●他大学の授業時間数(一回の授業時間90分を1時間としてカウントしています)
― 理系・文系を問わない新しい「情報」教育に現代の大学教育は対応できていない。

★プログラミング技術(他大学の3倍〜6倍の授業時間数) 

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