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【増補版】一生に一度の披露宴謝辞(親族を代表して)[日常]
(2023-06-12 14:49:24) by 芦田 宏直


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お正月には帰ってくる太郎に、「売れる芸人さんって何が違うの?」と聞いたことがあります。「人間性かな」と太郎は答えました。「長い間トップレベルの仕事をし続けている人は、特に人間性だよ」と。

なんだか、と私はその時思いましたが、芸人さんの人間性ってどういうことだろうと、それ以来私はずっと考えていました。

太郎はずっとバラエティ部門での作品作りをやってきました。『めちゃイケ』以降、演者さんの作り出す〈笑い〉が、息子の、生涯の作品作りを決めたわけです。〈笑い〉の世界が特殊なのは、さんまさんや松本人志さんでも?すべった?時には顔を赤らめて恥ずかしい顔をする。笑いの大家(プロ中のプロ)でもとても反省される。大学教員は、どんなに授業を失敗しても反省しない(会場・笑)。「学生の学力が低い」とまで開き直る。特に大家になればなるほど開き直る。しかし笑いの大家は、大家でさえも素直に恥ずかしいと、顔を赤らめます。

この違いはなんなのか。〈笑い〉は準備が効かない。大学教授や研究者の優劣は、準備(ストック)の量や質で決まる。準備をすればするほど、授業の質も高まる。論文の質も高まる。でも、〈笑い〉はどんなに脚本やネタを準備してもすべるときはすべる。新人も大家も受けるときもあればすべるときもある。〈笑い〉の失敗は、平等に存在しているわけです。この平等性を、カントは緊張と弛緩との関係、ベルグソンは秩序からの逸脱と考えました。優れた考察だったと思います。

同時通訳の天才、村松増美さんは、「芦田先生、同時通訳で訳せないもの、一番難しいものは何だと思いますか。ジョークなんです」と、私に言われたことがありました。西洋人の常識である新旧聖書やシェークスピアの全文を熟読していても(ここまでは大学研究者の仕事ですが)、それを使ったジョークで、その会場を実際笑わせることは、また別の問題なわけです。〈文献〉への知識だけでは、あるいは精確な〈翻訳〉だけでは会場を笑わせることはできない。

村松さんは「国際ユーモア学会理事」という経歴をお持ちでした。なんで?といつも私は思っていましたが、そのときはじめて私はその理由がわかりました。〈笑い〉は訳せないのです。アリストテレスやヘーゲルの文献を訳すようには〈笑い〉は訳せない。知識や辞書や準備だけでは訳せない。

そういう局面にいつも立たされている人たちが、〈芸人〉さんです。観客を相手にして、「あなたたちは笑いの学力が足らない」などとは言えないわけです(会場・「そうだぁ−」の声・笑)。いわば、顧客志向の頂点に立っている人たちが芸人さんです。

「顧客志向」と言えば、なんだかマーケティング「理論」のような月並みな言葉に聞こえるかもしれませんが、もちろんこれはマーケティングでもなんでもない。問答無用の、ケチを付けることの出来ない相手、全肯定しなければいけない?お客さん?を相手にし続けているのが、芸人さん達なのです。突然大声をあげる芸人さんや客をいじる芸人さんがいますが、あれは、?お客さん?が怖くて怖くてしようがないからなのです(会場・「そうだぁ−」の声・大笑)。

息子の太郎が魅力を感じたのは、キャリアの上下を問わない、こういった芸人さん達の、顧客に向かう、真摯で謙虚な態度だったのではないでしょうか。そのことを、太郎は「人間性だよ」、と言ったのだと思います。

私の生涯の仕事は、準備に次ぐ準備を経ないと生まれないような言葉を紡ぐことですが、太郎の仕事の核は、どんな準備をしても、どんなにキャリアを積んでも解体を余儀なくされる芸人さんたちの覚悟を共有するものだったわけです。たしかにそれは魅力的なものでしょう。大学教員も含めて、「プロ」と呼ばれている人たちの中でももっとも?謙虚な?人たちが芸人さんたちだったのですから。

こんなふうに親と子供とで、対極の仕事をすることになった、これも家族の在り方の一つだと思います。新婦のお父様の優しさと私の意地悪な精神との対極と同じように、仕事の上でも対極なものが結びついた方が、よりパワーのある家族、未来を切り開く力のある家族になっていくのではないでしょうか(会場・「そうだぁー」の声、笑)。

さて、そんな家族のとば口に立った若い、今日の二人に言っておくことがあります。最近は心理学者や臨床家さえ読まないフロイトですが、彼には「女性の性について」という論文があります。

そこで、フロイトは、女性(あるいは男性)を卓抜な仕方で?定義?しています。〈女性〉とは最初に愛された者(最初に愛された性)が同性のものを言う、と。逆に言うと〈男性〉とは最初に愛された者(最初に愛された性)が異性である者のことを言う、ということです。これが彼の〈性〉の?定義?です(まだまだフロイトは複雑なことを言っていますが、それはここでは省略します)。

「最初に愛された者」とは簡単に言うと〈母親〉のことです。?女の子?の恋愛は、だから同性に対する恋ですから、大失恋に終わる運命(禁じられた恋)なわけです。男子は、思春期になって、母親(異性)の像を反復するだけでよい(これはちまたで言われる?マザコン?とは少し違いますが)。

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