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【増補改訂版】今日の大学教育の衰退について ― あるいは、学力論、動機論、試験論、そして教育の組織性についてver15.0[これからの大学]
(2022-10-18 22:51:24) by 芦田 宏直


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「『子ども一人ひとりのよさや可能性』(教育課程審議会答申)を尊重する教育は、百人の子どもがいたら百通りの『よさと可能性』を尊重した教育をめざすことになる。だが 、果たして学校にそんなことができるのか。それが原理的に不可能なことは、論証するまでもない(百人分の本当のよさや可能性を発見すること自体、無理なことだ)。ところが、この論理的な矛盾を曖昧にしたまま、できるだけ子どもの主体性を尊重した教育を行おうとする。そうなれば、当然のことながら、学校や教師が見なす限りでの『よさや可能性』を生かした教育にしかならない。(……)『本当の自分』というフィクションを相手に、税金を使って強大な学校システムを動かすことなど無理ばかりか、まやかしでしかない」(『なぜ教育論争は不毛なのか』)。

?〈修得〉主義と〈履修〉主義について

ところが、「できない子はできないなりに」は、何も単なるあれこれの教育関係者の考え方にとどまらず、文科省の政策にまで及んでいる。

苅谷剛彦は、「新学力観」「観点別評価」(1989年)、大学大綱化(1991年)と並行して、「履修」と「修得」という言葉の使い分けが起こったことを指摘している。臨教審直後の1989年の学習指導要領においてのことだった。その使い分けは「『授業に参加し、授業を受けること』さえ満たせば、そこで何を身につけたかは一切問われることなく、必修科目は『履修』したことになる」(『教育再生の迷走』筑摩書房、2008年)というものだ。1978年の文科省「高等学校学習指導要領解説 総則編」においては、「必修科目」は「修得させる各教科・科目として定められることが適切である」と「解説」されていた履修=修得論が、「必修科目は(…)学校においてそのすべてを卒業までに修得させる各教科・科目として定めることが従来多かったが、地域、学校及び生徒の実態に応じて、これを見直すことも必要である」(文科省「高等学校学習指導要領解説総則編」、1989年)となった。一言で言えば、修得主義とは試験主義、履修主義とは出席主義のことである。文科省の政策そのものが「できる子はできる子なりに、できない子はできない子なりに」となったのである。

ここから始まる、90年代以降の「新学力観」「観点別評価」「多様な評価」、そしてまた「ゆとり教育(厳密には「新ゆとり教育」)」「アクティブ・ラーニング」「対話的・主体的で深い学び」 ― 「対話的・主体的で深い学び」とは市川伸一の言葉らしい ― などは、すべて〈修得〉と分離された〈履修〉の正当性を説明する言葉でしかないことになる。「わかってはいないけれども熱心に勉強している、態度はいい」という評価の言葉が前面化しはじめたのである。受験勉強しなくても合格できる全入大学の存在がますますその種の施策を裏打ちすることになった。

というより〈修得〉と〈履修〉との分離は全入大学の教育放棄を正当化することになったのである。「アクティブ・ラーニング」とは〈履修〉授業の代表格なわけだ。騒いでいるだけで(寝てはいないが)何も身につかない授業のことである。実験・実習・演習が好きな教員や学生も同じ体質を持っている。「…知識軽視が始まって、『教え込みはよくない』が始まって、自分で考えろと言われる。そうすると、もう小学校ではとんでもない授業になるわけですね。単元の最初から、ほとんど予備知識もないまま、『さあ、皆さん、考えましょう』と。そうすると、とにかく共通の知識なしにただ考えを述べ合うだけの授業になって、力はほとんどつかない。しかも、生徒が間違えたことを言った時に正さない授業までだんだん見かけるようになってきて…」(前掲書)と市川伸一が自己反省していたとおりに事態は進んだわけだ。

やがて、〈修得〉と〈履修〉との分離は、〈知識(知力)〉と〈学力〉との分離を意味することになり、文科省「生きる力」(1996年)、内閣府「人間力」(2003年)、OECD-PISA「キー・コンピテンシー」(2003年)、厚労省「就職基礎能力」(2004年)、経産省「社会人基礎力」(2006年)など、本田由紀が「ハイパー・メリトクラシー」と呼んだインビジブルな能力議論に?発展?していく。

?拡張された学力概念の害悪(1) ― 科目教育の軽視と履修主義

〈科目〉教育から〈修得〉性を引き抜いたらどうなるのか。抽象的な「思考力・判断力・表現力」「主体性・多様性・協働性」(2003年以降の文科省の〈学力〉概念の拡張)の登場である。教員も「科目教育ばかりが大学教育じゃないでしょ」とか言いながら科目相対論的な科目教育目標(試験)の難易度調整(●●) に走る。

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