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【増補改訂版】今日の大学教育の衰退について ― あるいは、学力論、動機論、試験論、そして教育の組織性についてver15.0[これからの大学]
(2022-10-18 22:51:24) by 芦田 宏直


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そもそも、「試験だけを厳密にするわけにも行かない」ということを4年間続けて、学生サービスを続けると、サービスの恩恵を受け続ける成績下位の学生は、4年間の教育バネが全く効かないままに就職活動を行うため、大卒条件(=受験勉強くらいの勉強は最低でもやっておいて欲しいという条件)を要求する企業の就職戦線で勝てない。期末試験までは学内?調整?で済む話だが、就職活動はその種の調整のない他流試合のためまともな就職に繋がらない。4年生まで単位を100単位以上積み重ねてきた学生が就職活動を行うわけだが、学内調整で単位を重ねてきたために、「何を勉強してきたの?」という問いかけにまともに答えられないからだ。そもそも会話自体が成り立たない。

企業が喜びそうなボランティア活動、部活動、アルバイト経験なども ― この種の経験話はまともな企業なら辟易としている面接話題だが ― 、同じ経験をしていても基礎学力のある学生の方が一般的には?コミュ力?があるため、「勉強ができない」新卒学生はどんな「キャリア教育」を受けても意味がないのだ。小杉礼子(労働政策研究・研修機構)も「就職担当教員が多く、キャリア支援の講義・学内推薦での応募を行っている大学ほど未内定の学生や無活動の学生が多い」(文科省「キャリア教育・職業教育特別部会」報告書)と言っている。最近では元々職業教育を行っている専門学校までが、大学を含む学校教育の課題であった「キャリア教育」を、そのコアカリキュラムとは別に行っているのだから、もはや混乱の極みなのである。

大学の「キャリア教育」もまた ― 「アクティブ・ラーニング」と並行して ― 、教育の機能不全(=試験の機能不全)を棚に上げるようにして登場したのであって、就職の質を上げることには繋がっていない。そもそも大学内の就職支援センターが提供する「キャリア教育」科目やその他の「プログラム」自体に、ほんとうに来て欲しい学生自体は出席もしない。相談の窓口(就職支援センター)にさえ立ち寄らない。卒論ゼミ指導の先生の言うことも聞かない。「就職」も広く言えば「科目(subject)」の一つであって、科目指導が効かないまま四年間過ごした学生が就職の時だけはまともに大学の言うことを聞くはずもないのだ。「わからない」授業、思い付きの箇条書きパワポ授業を続け、勉強しないまま単位を100単位以上もくれた(●●●)大学に対する不信ももちろんそこには含まれている。この不信は、正確に言えば、勉強した自覚も無いまま卒業する不安につながっている。実質的な学内退学者なわけだ。

「学生サービス」に配慮した試験調整(●●)もキャリア教育も、日常の授業改善を棚上げしながら進む今日の大学教育の現状、児美川孝一郎がかつて「潜在的な失業人口のプール」と呼んだ大学を物語っている(『若者はなぜ「就職」できなくなったのか?』)。

もともと、科目軽視の?大学教育?が一般化したその政策的要因こそ、〈修得〉と〈履修〉とを分けた1989年以降のことだ。1990年以降、「大綱化」(1991年)を経て、このことが〈知識〉教育と〈学力〉とを分離することに繋がっていく。

まず「知識」教育をわざわざ狭隘化して暗記教育と倒置する。ダメな教員が、「大学教育って言ったって、何も科目教育だけじゃないだろう」と言い出すのは、昔からのことではなくて、履修と修得とが分離し、学力と知力とが分離し始めて以後、1990年代以降のことだ。たしかに〈修得〉と〈履修〉とが分離すれば、〈修得〉の教育バネ(科目教育バネ)が効かないため科目以外の附帯的な教育要素を持ち上げるしかない。科目教育から〈修得〉が外されれば、底の浅い〈キャリア教育〉か、ボランティア活動などの課外活動支援に逃げるしかないのである。

?中等教育と大学の自己点検・自己評価

中等教育までなら、日々の授業や生徒の仕上がり評価を第三者評価する仕組みがいくつも存在している。業者の模擬試験、塾、予備校、家庭教師、すぐれた参考書、すぐれた問題集などなど。これらは教員自身が不断に参照して自己評価できる意匠でもある。仮に教員自身が授業に失敗しても第三者的に補う仕組みが何層にも存在している。

こういった仕組みが(自然に)存在するのは、大学進学という目的、しかも長年に渡って形成された偏差値ヒエラルキー(難易度別教育目標、学習目標)が存在しているからである。どの高校で授業を受けていても、A大学に合格するためにはどのくらいの勉強が必要か、B大学に合格するためにはどのくらいの勉強が必要かということが、自分が所属している高校のランクに関係なく、また受講している授業のどこに不備があるかとは関係なく明白だからだ。目標(教育目標=学習目標)がこのように学校や教室の中を超えて社会的に共有されていれば、それを補う環境はいくらでも作られていく。

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