モバイル『芦田の毎日』

mobile ver1.0

【増補改訂版】今日の大学教育の衰退について ― あるいは、学力論、動機論、試験論、そして教育の組織性についてver15.0[これからの大学]
(2022-10-18 22:51:24) by 芦田 宏直


< ページ移動: 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >

しかしこのような「多様な学生」対策のための選択制導入は大概が失敗する。ハーバードの内外から「ごうごうたる批判の炎が燃え上がった」と潮木守一は報告している(『アメリカの大学』1993年)。イエール大学のポーター(エリオット学長就任の二年後1871年にイエール大学学長就任)などは「我々はこのプラン ─ エリオットの選択科目主義(引用者註)─ が、比較的真面目な学生に、束の間の満足感を与えることを否定しようとは思わないが(…)学部生の大部分は各科目の重要性を判断し、それらが将来の職業とどのようにかかわっているのか、それを判断できるほど成熟していないし、それだけの知識を持ち合わせてはいない」と喝破している。潮木は言う。「自由選択下のハーバードでは、ある学生は特定領域の科目ばかり学習し他の領域については四年間何も学習しないで卒業していったし、またある学生は無秩序に手当たり次第にあちこちの専門の講義をとり何が専門だったのかわからないような状態で卒業していったし、ある学生はやさしい入門コースばかりを選んで卒業していったし、ある学生は点の甘い教師の講義だけ選んで卒業していった。(…)多くの学生はたくみにこの制度を利用し、最小のエネルギーで卒業に必要な科目数だけそろえて卒業していった」(詳しくは拙著『シラバス論』136頁以降参照のこと)。

二つ目には、どんな科目を担当しても完璧な授業計画(シラバス)のみならず、完璧な授業などできないのだから、〈試験〉だけを厳密化して、落第を学生の「勉強不足」に帰すわけにもいかないという、教員の配慮(●●)という観点からの試験調整(●●)もある。

これはもっともなことだと思うが、いくつかの疑問も残る。授業計画もそれに基づく授業も試験もすべて教員自身が実施したもの、しかも4ヶ月ものスパンの中で実施したもののはず。「厳密化」の?けじめ?は、何も最後の試験実施だけがその対象ではないということ。毎回の授業評価自身が授業担当者の?けじめ?でなければならない。毎回自分で作った小テストなどを実施して、平均点が60点以上になかなか上がらず、標準偏差も20以下に縮まらない授業を行った上で(全国の大学授業で小テストを毎回やれば、実際の数値はこの程度のものになるに違いない)、試験だけ「厳密にやるわけにもいかない」というのは、日々の授業評価の棚上げにも繋がりがちだ。

その上、不合格の水準は60点未満であって、全員100点を目指すというものでもない。この60点(履修の最低水準)は、したがって教員の、学生への配慮の対象ではない。「完璧でもない」という認識は、60点を切る落伍者が5%〜10%くらいはいるかもしれないという点ではありうる話だが、「厳密に」やれば半分以上は落ちる現状で(日々の小テストで平均点が60点未満、そのクラス内の標準偏差が20を超えていれば、期末試験は半分以上落ちないとおかしい)、「完璧でもない」と言うのは、だらしないだけのことだ。「試験だけを厳密にするわけにもいかない」と言うのなら、「せめて授業をきちんとやることを先行させないと」という?次の?言葉があってこその学生への配慮の本来の在り方だ。

ところが、試験調整(●●)が前提される限り ― 「シラバスも大切」「小テストも大切」など、何だかんだ言ったって、学生を通すのも通さないのも私(教員)の胸先三寸という単位認定権の私物化を前提にしている限り ― 、日々の授業が厳格になることなどあり得ないわけだ。毎週の授業は、期末試験での仕上がり評価以外に何も「可視化」する要素は無いからだ。だから順序としては、?よい?試験をやることが?よい?授業を生むのであって、その逆ではないということ。その点で「試験だけを厳密にするわけにもいかない」という言葉は、?よい?授業への取り組みを永遠に棚上げにすることになる。「学生サービス」と言いながら、授業改善自体には手を付けない自分(教員)へのサービスでしかないわけだ。

たとえば、「この問題(出問)をクラス全員が解けるとはすごい」とか、「こんな問題(出問)、ウチの大学では難しくてとても出せない」とか、「こんな問題が出せる授業って、どんなシラバスなの? どんな授業なの? どんな教育なの?」というように、試験内容(難易度、運営、採点)は教育力の可視化の鍵を握っている。教育方法論(授業法論)が有意味になるのも、試験問題が高度化することに対応して授業のやり方をどこまで変えることができるかという課題を担うときでしかない。だから、試験の?けじめ?なしには何も始まらないのだ。

?就職の現象学 ― 就職は学内処理だけでは戦えない

< ページ移動: 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 >


コメント投稿
次の記事へ >
< 前の記事へ
TOPへ戻る