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【増補改訂版】今日の大学教育の衰退について ― あるいは、学力論、動機論、試験論、そして教育の組織性についてver15.0[これからの大学]
(2022-10-18 22:51:24) by 芦田 宏直


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6. その他

これら二つのタイプの試験?調整?の内、二つ目のもの(採点基準の事前・事後調整)は、試験問題自体を見れば、試験の杜撰さがよくわかるため課題抽出はやりやすいのだが、一つ目の事前開示型の試験は、試験自体が、?一流?大学の試験なみに立派な難易度の高い、構成的にも立派な試験であっても起こりうる?調整?であるため、課題点を抽出するのが難しい。期中の小テストの成績分布と期末試験の成績分布の相関係数がおよそ0.4以下か、毎回の小テストがゼロ点でも期末試験60点以上の予測値 ― 小テスト点数を説明変数(X軸)、期末テスト点数を目的変数(Y軸)とした回帰直線の切片 ― を持つ結果が出るかなどすれば、なんらかの事前開示があったと考えるしかない。しかもこういった?推測?も小テストデータがあってこその話だ。ほとんどの大学では小テストなど継続的にやりはしないのだから、事前開示型の試験調整は大学教育の闇そのものである。

そもそも〈試験〉とは、何が出題されるかわからないからこそ〈試験〉である。試験の現象学としては、?この?一つの問題が解答できるのであれば、別の同じ難易度の問題も解けること、一つの試験問題を解けることは、他の多くの理解(他の多くの試験問題)の蓄積の結果でもあることを含意している。

よい試験問題とは、一つの出題によってその他の理解をも多く含む問題のことを意味している。試験とは、限られた時間の中で、限られた出題形式の中で、90分×15回分(2単位「講義」授業の場合、厳密には一回90分の前後に予復習の90分が前提されているから90分×45回分)の大量の内容の理解度を、たった90分の試験で確認するため、一つ一つの出題は、その出題の外にある理解を問うものなのである。したがって「この問題が出る(これに類した問題が出る)」と、試験主義的に事前開示すること、試験主義的に補習することは、試験と教育と教員の自殺行為なわけだ。それは結果的に試験に受かりさえすればいいという合格主義(●●●●)になってしまい、知識の実質(知識の修得)を問う試験にならない。

この種の事前開示を一度やり始めると、その教員の担当する科目は一夜漬けで済むことになり、誰も勉強しなくなる。特に成績下位の学生は補習期待の受講態度になり、ますます勉強しなくなる。小テスト点数(普段の理解度ヒエラルキー)と期末試験点数分布の相関も乱れるため、中上位学生と下位学生との点数も開かない(標準偏差が一桁にとどまる試験結果が多くなり、下手をすると90点以上率が50%を超える試験も多くなる)。開かないだけではなく、場合によっては特に入念な試験主義的補習を受けた下位学生が中位学生の点数を超える場合も出てくる。普段から頑張って勉強していた学生ほど期末試験結果に不信感を持つことになる。ひどい試験になると毎回の小テストがゼロ点でも期末試験60点以上の予測値 ― 小テスト点数を説明変数(X軸)、期末テスト点数を目的変数(Y軸)とした回帰直線の切片 ― を持つ結果が出ることになる。決して少なくはない事例として。つまり日頃の授業をほとんど聴いていなくても試験は合格してしまうということだ。これが大学試験の実態である。

この切片60点現象について、試験調整(●●)をする教員は、「さすがに期末試験を前にして頑張ったんですよ、学生たちは。小テストとは緊張感が違います」とうそぶくが、それはおかしなことだ。?できない?学生は日頃怠けているわけではない(一部の慢性的な居眠り(●●●)学生を除いて)。?できない?学生は?できる?学生よりも必ずしも勉強時間が短いわけでもない。

?できない?学生とは、どんなに時間をかけても、どんなにグループで学習しても、たとえノートを色分けして丁寧にとっても(?できない?学生ほど色とりどりのペンを使いたがるが、本来のノートは映像的にではなくて聴覚的に取るものだ)、授業のポイントがわからない学生のことを言う。そもそも試験前の一週間で真剣に(●●●)勉強すれば合格する試験もまた試験調整(●●)現象の一つでしかない。「わからない」学生の場合は特に?一夜漬け?も効かない。?一夜漬け?とはそれ自体が中級以上の学生の技(わざ)である。

「わからない」学生が一夜漬けで合格する試験(●●)とはそもそもなんなのだろうか。「わからない」授業、と簡単に言うが、逆に「わかる」授業とは理解すべきことと附帯的な事項との境界が明確な授業のことを言う。「わからない」授業とはその境界が曖昧な授業なわけだ。「わからない」授業は、全部が大切なことのように見えたり、全部が無駄話のように聞こえたりする。

この「わからない」授業が小テストの一回一回の授業を超えて、15回(2単位)講義のすべてが試験範囲になれば、その境界はますます曖昧になる。試験前の緊張や努力は?できない?学生にとっては混迷でしかない。?できない?学生にとっては、授業で教員が話したことのすべて、資料のすべてが重要なことに思えて、試験前の緊張(頑張り)と長時間の試験対策をやっても成績は上がらない。試験前に(集団で)?奇跡?が起こって切片が60点以上になることなどあり得ない。

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