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【増補改訂版】今日の大学教育の衰退について ― あるいは、学力論、動機論、試験論、そして教育の組織性についてver15.0[これからの大学]
(2022-10-18 22:51:24) by 芦田 宏直


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教育心理学者が好きな「学びの主体」論は、特に中曽根臨教審以降(あるいは「新学力観」以降)、学校教育=生涯学習論に立っているため、生産型教育(学校教育)と消費型教育(狭い意味での生涯学習)との区別に鈍感になりがちだ。そもそも中曽根臨教審は、土光臨調の民営化志向と並行して、学校教育民営化の立場に立っていたのだから(私塾さえ〈学校〉にしてもいいというのが香山健一たちの民営化論の立場だった)、〈学校教育〉をそもそも否定している。

学校教育を生涯学習論的に否定する人たちは「強い個人」(苅谷剛彦) ― もともとこの言葉を使用したのは経済学者の金子勝(『反グローバリズム』)らしいが※ ― を前提しているのだが、「児童」「生徒」「学生」という学校教育が相手にする受講者の特性は、まだ家族や地域の庇護にある個人、?弱い?個人を ― 〈学びの主体〉の主体以前の個人 ― を意味している。この前提を崩すと、今度は家族や地域の文化格差が前面化してしまう。

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