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【増補改訂版】今日の大学教育の衰退について ― あるいは、学力論、動機論、試験論、そして教育の組織性についてver15.0[これからの大学]
(2022-10-18 22:51:24) by 芦田 宏直


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今日の大学教育の衰退について ― あるいは、「学修成果の可視化」について

教授する術を心得ていることや知を教授すること、さらには知識を生みだす術を心得ていることは、私たちが問うている古典的かつ近代的な伝統においては、作品を生みだすこととは異なる。教員自身がその作品に署名するわけではない。彼ないしは彼女の教員としての権威は、作品に対する作者の権威とは異なる。(ジャック・デリダ)


※文中に出てくる(●●●)などの表記は、その直前の語句の上に付く傍点ルビを意味します。悪しからず。

【目次】
偏差値格差をどう乗り越えるか ― 多様性教育の害悪について(?優秀な?学生はどんな大学のどんな教員の下でも存在している)/成果の継続的な拡大 ― 「組織的な」教育の必要性について/〈修得〉主義と〈履修〉主義について ― 試験主義と出席主義の起源/拡張された学力概念の害悪(1) ― 科目教育の軽視と履修主義/拡張された学力概念の害悪(2) ― 内発的な動機論(意欲主義)は、カリキュラムと試験を形骸化する/拡張された学力概念の害悪(3) ― カリキュラムこそが〈動機〉の形式であることについて/生涯学習と学校教育との違いについて/反多様性論としての「学修成果の可視化」について ― 低さの標準性、高さの標準性/杜撰な大学の杜撰な試験 ― あるいは、終わりのない動機論の杜撰さについて/60点未満の「落伍者」にしか関心のない大学/就職の現象学 ― 学内退学者を抱えたままで就職の質が上がるはずもない/中等教育と大学の自己点検・自己評価/パワポ授業の現象学 (1)― 箇条書きでは何もわからない/パワポ授業の現象学 (2)― 箇条書きの反対語としての「narrative形式」/再論・授業改善はどうでもいい/試験調整(●●)を放置する最後の砦としてのメンター主義(担任主義)と卒論ゼミ主義/結語 ― 諸悪の根元としての試験の私物化について/参照・参考文献

?偏差値格差をどう乗り越えるか ― 多様性教育の害悪について(?優秀な?学生はどんな大学のどんな教員の下でも存在している)

今日の大学の序列化は、入学時の偏差値(入学試験のレベルとその解答のレベル)でほとんど決まっており、入学後卒業までの4年間の教育力がその入口の偏差値格差を相対化するところにまでは至っていない。文字通り、東京大学の入学試験は「とても難しい」という評価に伴って、そしてまたその入学試験を解ける大学生の?基礎学力?の高さによって大学の教育評価の大半が決まっている。

企業が一般的に当てにしているのは、残念ながら、偏差値による大学ヒエラルキーであって、このヒエラルキーは、基礎学力の高さ、特には苛烈な受験勉強で形成された基礎学力の高さ、その高低の選抜にとどまっている。「大学の選抜性(入学偏差値)によって就職状況が異なること」(小杉礼子)は昔も今も変わらない。入学後の大学教育(4年間、124単位以上の教育)は、このヒエラルキーにほとんど抗えていない。

授業自体、教育自体は一流大学も三流大学もそんなには変わらない。教員の教育能力に大きな違いはない。どこの大学でもやりっぱなしの授業、講演のような授業をやっていることに変わりはないが、?一流?大学では、二つの担保がある。一つ目は、教員の不親切な授業を補う学生の基礎学力が担保されていること。二つ目には、わからない授業が続いても、卒業する価値(ブランド)は担保されているということ。好き勝手な授業をやる個性的な(●●●●)教員の授業などほとんどまともに聞かずそれ以外の学内外の活動が活発な個性的な(●●●●)学生の多様性が生きるのも、基礎学力の標準性と大学ブランドの社会性(歴史性)があってこその話である。

むろんどんな若者でも、20歳をまたぐ18歳からの4年間は大学が何もしなくてもかなり?成長?する時期に当たる。その上で言えば、二つの担保のない「多様性」は人の顔は百人百様という、教育以前の多様性(個性)、成長の自然的な多様性のことでしかない。そんなことを再認するために人は、高い授業料を払って高等教育を受けるわけではない。

文科省が使う「多様な学生」という場合の「多様」を「ダイバーシティ」と同義のように理解する人がいるが、この「多様な学生」とは、勉強の?できない?学生が大学に進学してくる時代の学生の特質を意味している。つまり「多様な学生」とは、従来の大学教育に付いていけない、勉強が不得意な学生のことを言う※。

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