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大学の授業改革はなぜ進まないのか ― 大学における期末試験不正について[教育]
(2021-11-29 18:18:55) by 芦田 宏直


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10. さらに?語り?授業の問題点は、(大学の授業で一番重要な)文献指示が弱くなるということだ。教育者(教員)ではなくて研究者であると言うのなら、講義で話す一つ一つの言葉が必ず文献(先行する研究の蓄積)に基づいているはずだが、?語り?でそれらをいちいち指摘するわけにも行かない。?語り?授業はその意味でたえず通俗性への浮力(先述の?いい加減さ?)を含んでいるが、書いていけば註表記などでその種の処理は簡単にできる。?語り?は時間のリニアな流れに追われるため、多層な表現を許さない(せいぜい、声の大小だけか、思い付きの板書に終始する)。だから教員の様々な思惑が交差する授業の表現には適さない。

11. 書かれた教材なら(教員も学生も)自由自在に時間の前後を行き来できる。パワポは確かに書かれたものではあるが、〈スライド〉という表現単位が解説に向かない限界を有している。A4ならグラフとグラフの解説を一枚のスペースに収めることができるが、スライドではそれがはみ出るため、思い付きの経済的な解説記述で終わってしまう(これが資料主義授業の限界)。「後は授業で(授業の?語り?で)」ということになるのもパワポスライドの限界が反映している。A4ならどんどん解説を多種多様に書き込んでいけるが、そんなわけにもいかないのがパワポスライド。パワポは講演会のような言い放しのツールでしかない。バカでも人前で話せるのがパワポ(講演屋のように)。パワポは、基本的に話者都合のツールであって、学生教育には向かない。授業の目的は読ませることにあるのであって、学生は観客ではない。授業中のどんな?語り?も読ませることに向かわなければ意味がない。講義のラテン語lectioは、〈読むこと〉である。

12. さて自分の専門研究と授業科目とは必ずしも一致しないが、それでも、書字化による文献の再収集、再研究は、自分の専門研究の厚みを形成することに役に立たないはずがない。量産型の底の浅い論文を書き続ける間にも、この種の専門教養の厚みを得ることは、次の論文を書くときにも役立つに違いない。

13. そもそも学部(学士課程)の授業のすべては、言ってみれば?概論?授業。その意味で、若い研究者にとっては、自身の尖った「研究」を阻害する要素でしかないかも知れないが、しかし?概論?は入門教育でも基礎教育でもない。

14. 昔は名誉教授級の教員以外、概論科目を担当することなどなかった。それは、頂点に立った者のみに、そのすそ野の広がりや多種多様な登り道(登山道)の在処が見えるからだ。だから、新書を読んだくらいで(あるいはネットで調べたくらいで)そんな授業に臨めば、多くの落伍者を出すに決まっている。登り道が一つか二つしか、若い教員には見えていないからだ。これは研究か教育かの問題ではない。手間がかかるのではなくて、純粋に専門教養的な勉強が不足しているのである。

15. 教材開発は、通常なら新書や解説書の孫引きトークで済ませるところを丹念に元文献に当たるところから始まる。?語り?を書字化する段階で、?語り?以上に知識不足を痛感することになるからだ。しかしその不足を痛感することの中にこそ、「新しい研究テーマが伏在している」こともある。「教材作成の途中で、わからないところが出てくる。先行研究の理解が不十分であったり、先行研究そのものが少なかったりする。そこにこそ新しい研究テーマが伏在している。教育と研究は相互に作用する。トレードオフの関係ではない」と井上寿一(前学習院大学学長)が言うとおりのことである(産経新聞「正論」2021年10月18日)。政治学研究者(日本政治学)として第一級の井上でさえそう言うのだから、若手の教員の事情はもっと深刻だろう。高校のような参考書や教材のない大学の授業を担当することは、40才を優に超えた〈教授〉級の研究者であっても荷が重いのだ。

16. つまり〈教育〉は、入門(●●)でも基礎(●●)でも啓蒙(●●)でもない。小学校で学ぶ〈かけ算〉や〈割り算〉でさえ数学の名誉教授が教えれば、数学嫌いを出すことなどないだろう。それは〈数〉に対する専門的な認識の全体から来ているノウハウなのである。教員の専門性の深さと教育力とは相関している。〈教育力〉とはあれやこれやの授業法の問題ではなく、事柄の認識そのものに関わっている。その相関の接点が教材を〈書くこと〉である。

17.教員採用の際、模擬授業のような無粋なことを研究者である教員にやらせる大学があるが、それは、本末転倒。授業に求められるのはパフォーマンスではなくて、教員の〈書く〉〈書ける〉能力、つまりオリジナル教科書(オリジナル解説文字教材)を書ける能力なのだ。それが大学教育のコアとなる教育力なのである。

18. 平均点82点、標準偏差12の科目クラス経営を遂行するためには、パワポ?語り?授業を脱却して、自身の授業の?語り?にレフェランスを保持すること、最低でも一コマ10,000字〜15,000字の〈教材〉を用意する必要がある。

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