by 保護者の一人(2006-10-27 11:53:27)
保護者としてはどういう姿勢でいるべきでしょうか?
単位が足りないことがわかった高校に通っている息子には「人生はどこでなにがどうなるかわからないんだから、卒業できるように授業やってもらってそれをあなたが履修してちゃんと卒業するしかないでしょう」と言ってるんですが。
by ashida(2006-10-27 22:44:07)
今、学校から帰ってきたところです。御返事、遅れて申し訳ありません。
実際、被害にあった保護者と生徒は、どうすればいいのか?
そんなこと簡単なことです。
「再履修はいや」と言えば、いいのです。
あとは、文科省と県教(県教育委員会)とが話し合えばいいだけで、生徒や保護者が被る被害ではありません。
みんなで無視すればいい。生徒はカリキュラムを作ることにいっさい関与していないのですから、なぜ、その“被害"を被らなければならないのか、道理のない話です。
再履修は避けられない、というのなら、受講時間は生徒側が決めればいいと思います。大学受験資格を得られる仮卒業を県教=文科省に認めさせて、卒業後に一生をかけて(まるで生涯学習の文化講演会のように)、受講してもいいだろうし、受講の形は自由に選べばいいではないですか。少なくとも、そのくらいの自由は主張してもいいと思います。
もちろん世界史を学ぶ権利がある、として再履修を要求するのは、この限りではありませんが。
by 保護者の一人(2006-10-28 08:03:32)
お疲れのところ昨夜のうちにお返事を入れていただいたみたいで恐縮しております。
降ってわいた災難にあわてふためいている息子の姿が何とも情けなくそちらのほうに腹が立っておりましたが、この問題がどういうことなのかよくわかりました。
PTAからも連絡が来て卒業させるよう動いていくような内容ですが、再履修になる可能性があるようです。しかし、再履修をするべきでないと言っている父兄も出てきているようです。
芦田様が、再履修の方法についても様々な選択肢を書いて下さっていましたのでPTAを通して提案してみようかと思っています。それにしてもこの時期にこういうことになるとは夢にも思いませんでした。
by ashida(2006-10-28 11:25:43)
高校が再履修をさせたいというのは、単に高校側の都合であって(県教育委員会へのすりあわせ)、生徒や保護者の問題ではありません。
進学(受験)を準備する学生にとって、負担要因になることは明らかなことですし、そもそも、授業の方も、消化試合のようなことをやればうまくいかないのは目に見えています。
なぜ、高校側が起こしたことのミスを、生徒や保護者が追わなければならないのか。それをきちんと言うべきです。
仮に非を学校が認めたなら、「あやまる」のではなくて、保護者の意見をまず聞くということが筋です。
保護者は、「イヤだ」と単に言えばいいのです(それだけを言い続ける)。
ものわかりのよさそうなことを言う必要はない(必ずそんなことを言う保護者が出てきますが)。
後のことは、学校が考えるべきことで、保護者や生徒が悩むことではありません。
学校が「それはできません」というのは、「できない」のではなくて、県教育委員会や文科省と詰めなければならないことが多くなり、それを面倒くさいと思っているからだけのことです。「できない」と言われたら、「面倒くさい」と言っている、と頭の中で翻訳して下さい。ひるむ理由は何もありません。
「卒業できませんよ。受験できませんよ。それでもいいのですか」と言われてもひるむ必要はありません。
こう言えばいい。「カリキュラムを改ざんしておいて、どうしてそんなことを言えるのか、理解に苦しむ」と。「一体先ほどわれわれに謝ったのは何について謝ったのか」と。
そんな学校を選んだあなたが悪い、と世間がもしそういうのなら、公立高校の履修科目は個々の学校が決めているのではないのだから、学校選択以前の問題(つまり県の教育委員会や文科省が管理している問題)、と突き放せばいい。
特にこの学校だけで起こっていることではなく、全国的に慢性化しているようですから(あるいはすでに未履修の状態で卒業している生徒が一杯いるようですから)、ここは「イヤだ」を押し通すべきです。
こういった場合の最大の敵は、たぶんPTAです。必ず教員側につく保護者が出てくる。「そうは言っても先生も大変よね」というように。あるいは「世界史もやっぱり勉強させておかないと」などと。そうやってPTAの中で票読みをやり始めます。ここを乗り切るのが一番大変だと思います。身内の敵ほど鬱陶しいものはありません。
PTAが団結して「イヤだ」と言えば、必ず通りますが、学校側はPTAの分裂を利用して、再履修を強行すると思います。そこをどう乗り切るかです。
いずれにしても一番大切なことは、子供に大人の失敗(しかもたちの悪い失敗)を押しつけてはいけないということです。どんな場合もそこが原点です。
by masa(2006-11-01 11:13:41)
そもそも日本の受験制度が間違っていますね。
一般教養習得のための履修が受験のためのものになっている。
これでは、ますますの教育レベルの低下は避けられないでしょう。