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ミクシィ(MIXI)の時代 ― インターネット時代における主体の再生[社会・思想]
(2006-10-09 03:32:24) by 芦田 宏直


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最近、ミクシィ(MIXI)http://ja.wikipedia.org/wiki/MIXI に関心を持っている。私も今年の1月に学生から紹介されて加入したが、ほとんど使ってはいなかった。子供だましのようなものだと思っていたからである。ブログの方が大人、というわけのわからない“差別”をしていた。だから、ブログの記事に自動的にリンクを張るように設定し(ミクシィの設定でそれができる)、特にミクシィ用の記事は書いていなかった。

ミクシィ(MIXI)の全会員は今月ついに600万人を超えた。これは、真言宗・浄土宗・浄土真宗本願寺派、真宗大谷派、立正佼正会の500万〜600万人に並び、後少しで連合の700万人、創価学会の800万人を超える。私の学校の学生達もほとんどが加入している。

そんな中、昨年文科省の委託事業(今年も続いているが)で一緒に仕事をした私の友人、鶴野充茂さん(http://www.beanstar.net/corp/exec.htm)が、『SNS的仕事術』(http://www.amazon.co.jp/gp/product/4797336013/249-0397331-2452329?v=glance&n=465392&tagActionCode=kohoman-22)という本をソフトバンク新書から最近出版し、それを手渡しで献本していただき、すぐ読ませていただいたのが、ミクシィ(MIXI)にまじめな関心を持ったきっかけだった。

ミクシィ(MIXI)は、一つの世界史的段階を形成しているというのが、ここ数週間使用した私の実感。大げさではない。

1960年代にテッドネルソンが「ハイパーテキスト」(http://www.ashida.info/blog/2002/08/hamaenco_1_22.html)を言いだし、30年経った95年以降インターネット(Windows95)でそれが爆発的に拡大したが、SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)は、次世代の“ハイパーリンク”だと言える。最近の「WEB2.0」(http://e-words.jp/w/Web2022E0.html)というのもその事態を受けているのだろう。

「ハイパーリンク」時代は、一個人が世界大の情報に向かってすべての情報と均質的に向かい合わなければならなかった。たしかにどんな情報でも手に入れることが出来るが、それを有意義に使うことが出来ない。評価ができない。すべての情報が一個人に直接向かい合っている状態。これが「ハイパーリンク」時代だ。個人はたしかにテッドネルソンふうに〈自由〉だが、その分、自分の実在性を感じることが出来ない。情報は多いが、その分、集約点(レファレンス)を持てない。

したがって、そこでの個人は軽薄な(軽くて、薄い)個人にならざるをえない。匿名化するということだ。情報評価がまともに出来ない個人が匿名的に世界大の情報流通の場に登場する。「2ちゃんねる」(http://ja.wikipedia.org/wiki/2%E3%81%A1%E3%82%83%E3%82%93%E3%81%AD%E3%82%8B#.E6.A6.82.E8.A6.81)はそのあだ花のようなものだ。

一方で、そういった匿名的個人を嫌う西和彦の「1ch.tv」(http://ja.wikipedia.org/wiki/1ch.tv)も発生したが、もはやそのような中途半端な主体性(と“責任”)では、軽薄化する個人のパワーを止めることはできなかったと言える。

したがって、重要なことは、そういった匿名的な個人のパワー ― それは世界大の情報量が等価に個人に訪れることの隠喩でしかなかったわけだが ― にあらがう主体性(有為な個人の再生)を打ち立てることだった。

ミクシィ(MIXI)社長の笠原健治(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%A0%E5%8E%9F%E5%81%A5%E6%B2%BB)はミクシィ(MIXI)が上場したとき(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20060915-00000000-fsi-bus_all)、名前のある個人がインターネット上で流通する必要があると思った、と言う。

ミクシィ(MIXI)は、その意味では「2ちゃんねる」以降の個人の再生、インターネット時代に於ける個人の再生を目指していたのである。情報の集約点をそのつど見出すという点では、その動きはまさに「セマンティックWEB」(http://www.scollabo.com/banban/term/semantic.html)と呼ばれうるものだった。

セマンティック(=意味論的)なWEBとは、何か。情報上のメタレベルを訴求することの出来るネットワーク(=インターネット)の体制だ。情報上のメタレベルとは何か、特に究極のメタレベルは何か。それこそがミクシィ(MIXI)の中で日常的に生成=再生しつつある〈主体〉=〈個人〉だ。

たとえば、どのようにそれが再生されるのか、見てみよう。

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