自動車系専門学校の全国組織JAMCA(http://www.jamca.jp/)の機関誌「JAMCAニュース」第49号の原稿依頼(「自己点検・評価」について書いてほしいとの依頼)があって、以下のような原稿を脱稿しました。関心のある方は参考にして下さい。
●なぜ、専門学校の「自己点検・評価」は停滞するのか
「自己点検・評価」という言葉が専門学校の関係者になかなかなじめない理由がいくつかある。
一番大きな違和感は、「一条校」の「学校」群に比べれば国家助成はほとんどゼロにも等しい、授業料収入だけで経営される専門学校にあって、つまり最初から市場競争の波に直接のみこまれざるを得ない状況の専門学校にあって、ことさらに「自己点検・評価」を行う動機が見出しづらいということ。
或る意味では、マーケット評価(=募集)というものこそが、一番厳しい「自己点検・評価」=第3者評価なのだから、それ以上に何を今さら、という気分が専門学校関係者を支配している。
特に90年代初頭から始まる少子化は、官許的な「点検・評価」以前にはるかに強烈なプレッシャーとなって専門学校経営者たちを神経質にさせていたことを考えれば、平成14年の「自己点検・評価」の「努力義務」については、今さら何をしろと言うのだという気分が“われわれ”には強かったと言える。
実際、「自己点検・評価」という言葉は、大学の「自己点検・評価」を起源にしており(平成三年の設置基準の改正)、この「自己点検・評価」は、設置基準の「大綱化」、つまり基準緩和によって(国立大学さえをもまた)市場競争(=少子化状況)の中に開放することを意味していたわけだから、大学に比べればもともとはるかに“大綱”的な専門学校の「自己点検・評価」とは一体何なのか、という疑問は最後まで残ったのである。
●“内面”評価としての「自己点検・評価」
しかし「一条校」にも専門学校にも、共通の課題はたしかに存在していた。それは少子化以後の勝ち残り戦略は、広報・募集上の学生の奪い合いではなく、教育の中身の検証が問われるということだった。
なぜか? 少ないパイの取り合いということになれば物量だけでは割が合わなくなっていくということ。ウソも方便、という古典的な広報も役に立たなくなってきたということだ。
専門学校経営で言えば、これといった内実のない新科を打ち出し、マーケットの目先の変化を追ったり、教務強化よりは広報費に納付金収入(=学費収入)の多くを費やす“経営”は、一種の麻薬のようなもので、一度それに手を付けはじめるときりがない物量を強いられる。これが国家助成のある大学よりも先に少子化の洗礼を受けつつある専門学校の教訓だった。
つまり専門学校の広報主義や新科主義は、学生数が右肩上がりの時代の専門学校経営であって、少子化は、各学校が自分たちの“内面(=教育)”に目を向けるまたとないチャンスだったということ。つまり経営者たちに狭い経営主義を脱して、“教育”そのものへ関心を向かわせるまたとないチャンスだった。
パイが小さい中での生き残りの方策は、各学校が「建学の理念」や「特徴」や再発見し、それを強化するということでしかない。つまり競争は、共存戦略の中でしか機能しない。生き残れない学校というのは、分野間の凹凸だけではなく、同じ分野の中でもこれといった特徴のない学校なのだということ。