私にとっては今度ばかりは、地獄のような卒業式だった。
いつもは遅くとも前日の夜には原稿は出来上がる。そして帰りのクルマの中と朝のクルマの中で口に出しながら反芻する。
今回はその原稿が出来上がらない。何を言うべきか、全く浮かばない。毎年、原稿が出来上がる時間が直前に近づいて、余裕がなくなりつつある。
式辞というものは儀礼的で形式的なように見えて、実はそうではない。学校の全歴史とその歴史に連なる教職員の全ての知性を代表しているのが式辞。式辞のレベルが低いのに学校の中身はいい、なんて学校はありえない。
もちろんその逆の、式辞がいい学校は学校もいいということにはならないが、それでも式辞と学校の内容とは「必要条件」(「必要十分条件」ではないにしても)でイーコール。
それが、また私を緊張させる。論文や文章は、馴れ、というものが存在するがスピーチ(トーク)というものには、馴れなど存在しない。それはたぶん時間に単線的に追われるものだからだ。
したがって、歌手たちも演劇人たちもどんなに場数を踏んでいても舞台には緊張する。式辞もそれに近い。何回やってもうまくなれない。一番簡単なのは、前もって書いた文章を読み上げることだが(それなら全く緊張しないが)、そんなことは意地でもしたくない。そもそも式典の参加者に目も向けないで話すのは失礼だ。校長が人前で見せる仕事なんて、〈式辞〉くらいしかないのだからせめてこのときばかりはきちんと仕事をすべきだ。
などとこの時期毎年のように同じような独り言を言いながら、MS-Wordのアウトラインプロセッサに向かうが、夜中まで、結局原稿は書けなかった。
一晩寝れば、と思って朝に期待したがやっぱり無理。何も出てこない。
奇跡が起こったのは、当日の朝、学校に向かうクルマの中。TBSのラジオを付けた瞬間に、そうだ、『ラヂオの時間』だぁ…と、テーマがなぜか決定(頭の中の出来事だから何が突然出てくるかわからない)。
そう思って喜んでいると、南中野の交差点で、黄色いレガシーワゴンが私の前を通り過ぎた。レガシーの黄色は、淡くて美しい。そう思った途端、そうだ、黄色の日産「BE1(ビーワン)」の話だ! と矢継ぎ早に頭の中で構想が出来上がっていった。式典開始まで後2時間の南中野交差点だった(この日は家内の私事につきあって、自宅を出たのが10時だった)。
学校に着いてからは急いで、アウトラインの箇条書き。もう時間がないから地の文なんて考えられない。いつもはA4版2頁くらいには、草稿ができているが、今回は無理。5行くらいにまとめて、後はリアルタイムで膨らませるしかない。
したがって、今回は、式辞の中身のUPが遅れました。式が終わって、文章としてはほんとんど書き下ろしです。ただし再現率はほぼ100%。ここで私が話した話は、ほとんど私自身が自戒としているものです。私の話にリアリティが幾分かでもあるとしたら、それはいつも私が私自身に向けて話し続けているものだからだと思います(私が話した全ての式辞はそうです)。
それでは悪戦苦闘、失踪したくなるような卒業式当日の、練習時間がほとんどなかった式辞をお楽しみ下さい。こんな話になるとは…、前日からは想像出来ないものになりました。全体で約35分しゃべり続けた、とのことです(なお文面化の都合上、式辞冒頭の挨拶は割愛してあります。いきなり本論から入ります)。