by 匿名(2006-03-17 15:14:18)
親戚の者の進路について調べていて専門学校さがしをしていて去年みつけてから読ませていただいています。
奥様の病気は知っていますが、加齢するごとに落ち着いている人を知っていますので、暖かく見守ってあげて下さい。きっと今よりよくなられると思います。
この式辞の記事には考えさせられるものがいくつもあります。
先日、娘の中学校の卒業式に出て通り一遍の校長先生のご挨拶を聞いてお礼を申し上げる気にもなれずさらに担任の先生たちの顔を見てもこみあげるものもなく4月からの娘の高校生活が不安になりました。(中堅の私立中の高一貫校です)
「式辞というものは儀礼的で形式的なように見えて、実はそうではない。学校の全歴史とその歴史に連なる教職員の全ての知性を代表しているのが式辞。」本当にそのとおりでした。
「会社の特徴やコアとなるコンテンツの形成は、あとからみれば理路整然としているし、・・・・マーケティングや経営学の本でも“成功事例”の王道のように語られもします。
けれども実際の生成過程は紆余曲折ばかり。“泥だらけ”の過程だと言えます」
ここは大変ぐっときました。泥だらけになってやってきた過程をほんの数名、もしかしたら自分しか知らなくても会社全体が救われていることがあるんですよね。
この記事、何度も読ませていただいています。
by 読者グループの一人(2006-03-17 18:44:00)
芦田様
いつのまにかこの「芦田の毎日」を昼休みに密かに語り合うことが楽しみになっているグループがありまして私はその一員です。
私どもの会社が民間の会社ではないため、こういうミーティングは目立つものですから、「密かに」やっています。
当日、会場を間違って、中野サンプラザへ行かれたというのを知って、こちらまで読んでいて緊張が伝わり冷や汗が出ました。
それほどの緊張感をもって式辞に臨むヘッドはいないのではないでしょうか。未だに「イノセント」なままに止まっている私たちは儀式や慣例にもうすっかり染まってしまっていて、郵政改革なども、もはやひとごとのように思えてしまっています。
前者の感想でも指摘されていた「泥だらけ」の状態をこれもまた口でしか経験していないと反省しきりです。
真っ赤に訂正をいれられたことも入れたこともなかったのではないかとこの忙しい年度末にさらに見直す仕事が増えました。
今後も利用させていただくことをお許しください。
by 匿名(1)(2006-03-18 00:49:44)
芦田宏直 さま
2005年度の卒業式の式辞を読みました。
子供が大人になるということの意味、社会に出て実際に仕事をするということの意味を、本質を突き、かつ分かり易く述べているので感心しました。
「子供が成長して自立する、大人になるということの最大のポイントは、自分の自由やポジティビティを阻害するものを、イノセントな仕方で排除せずに、きちんと担えるようになるということです」
大人になれない大人、またこれから大人になる方々に是非読んでほしいと思いました。息子にも読ませたいような内容でした。
「時間とお金があれば、もっといい仕事ができるんだけどな」というのは、だから“イノセント”だということです。そんな純粋な時間もお金も実務の現場には存在しません。時間もお金も実際は“泥だらけ”なのです」
大人の社会でも、此処の所が分かるようになるのには、随分と長い時間が掛かると思います。長い時間、分からないまま、狭い考えで自分を限定してしまう人が多いと思います。
しかし、実際には「泥らだけ」の中でもエクスキューズなしに前向きに活動する人こそが、(社会の中で)大きくなれる人なのだと思います。
これから社会に出る人々、またその人々を指導する人たちへの素晴らしい式辞でした。
by 匿名(2)(2006-03-18 02:10:09)
(感想追記)
「イノセントとは、自分の受動性(や有限性)の側面を受け入れようとしない傾向のことです。」
とりわけ、今の若者の多くのように、自分を相対化することなく自我肥大になっている人には、良い内容だと思います。また、自分の可能性を求め純粋に自分の生を社会の中で真摯に生きようと煩悶している人にとっても素晴らしい内容だと思います。
なんとなく漠然と生きている若者、また、真剣に生きることを考え頭でっかちに観念的になっている若者の、そのどちらの人にも気付きを与える上質さを持つものだと思いました。
「どんなプロの人間でもいつも時間がないこととお金がないこととの中で仕事をしています。6割、7割の満足度で仕事を終えています。悔いが残ることの連続です。プロの仕事というのは実は悔いの残る、不十分な仕事の連続なのです。」
また、あなたの言うように、社会に出た若者や働いている大人が、自らの力を十分発揮できるようになるには、泥だらけの社会をイノセントな仕方で排除せずにプロとして仕事をすることが必要でしょう。
けれど、この意味では、実際の社会でも、大人になれている人というのは、甚だ少ないように思います。けれども、あなたの言うように、そういうように対応して始めて、プロとしての仕事が出来るのだと思います。
競争が激しくなっている今、実社会に出て十分仕事をしていると思い込んでいる大人に対して、まだプロにはなれていないと気付かせる説得力のある優れた内容でした。いや、なかなかの名文です。
by hibiki(2006-04-01 23:43:40)
芦田先生
はじめまして。
初めて、このブログに感想を書かせていただきます。
式辞の内容を読ませていただいて、自分の大学時代のことを思い出しました。
式辞の中で、「イノセント」〜「大人になる」の話があり、私自身も自分の親を否定していた時期があったこと、そんな否定していた親を認められるというか受け入れられるようになったこと、を思い出しました。
ちょうど、自分自身についてよく考えた時期だったと思います。「親を否定する」ことで、「自分自身」を構築しようとしていたのかな、と振り返って思います。
今でも、自分自身について考えることはありますが、大学時代のように考えなくなっています。それが良いのか、良くないのかはわかりませんが、自分の状況が変わっているのでしょうね。
そんな過去の自分があって、今の自分があります。
思いつくままに書きましたので、まとまりのない文章になってしました。すみません。
ありがとうございました。