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今日は、結婚式。一度聞いたら忘れられない名前を持つMさん(新婦)の結婚式の主賓でご招待を受けた(於・品川プリンスホテル)。※この記事の初版ではすべて固有名詞を上げていましたが、「はずかしいからやめて」と今朝本人からの電話があり(3/14)、謹んで略称に致します。お父様と一緒に写した写真も掲載を取り下げておきます。ご迷惑をおかけしました。
三月は卒業式、4月は入学式と校長の私には「式辞」のラッシュで、緊張の連続の季節。それに今日の結婚式。これはどう考えても余分だ。しかも主賓の挨拶だから、相手方に“負ける”わけにはいかない。
このMさんは、私が社会人の教育課程の責任者だった頃、わが学園に“入社”してきた女の子(といってももう30歳になる)。
入社して1年経つか経たない頃に、実家の松山で療養中のお母さんが突然お亡くなりになり、私が急いで航空券を手配してあげたことを今さらのように覚えている。「先生、お母さんが死んだ…」とぶしつけに、無愛想に私の机のそばにやって来た。
この娘は、喜怒哀楽をあまり顔に出せない。目も細いし、鼻も口も小さい、声も小さいから、そもそもの表現装置がない。
しかし、だからこそ「先生、お母さんが死んだ…」という無表情がそのときもまた忙しくしている私の手を止めさせた。「すぐに行けよ」「でも四国だよ。どうやって行くの」「飛行機だろ、飛行機しかないよ」「今から席、取れる?」「日航に後輩がいるからすぐに取ってやる」「ありがとう」。滅多に助け合わない、私とMとの短い会話だったが、このときだけは余計なことを一言も言わずに“通じ合った”。約5年前の話だ。
そのMさんが今日結婚する。
そういった私とMとの関係を紹介しながら、私の主賓としての挨拶が始まった。
●今日は、そのように5年前にお亡くなりになったお母様の代わりに私がここにいる、と思って話をさせていただきます。
私は〈結婚式〉というものをたいへん残酷な儀式だと思っております。
二人は祝福の絶頂にありますが、一方で二人は、お互い愛しながらも分かれざるを得ない死の離別を覚悟した二人でもあります。二人を引き裂くものはもはや死以外ではあり得ない。そういった二人の出会いを〈結婚〉と呼ぶのです。
大概の離別は、嫌いになったり、関心がなくなったりの離別、また新たな出会いを求めての離別でありますが(したがって別離でもないでもないのですが)、嫌いになることもなく、好きかどうかを疑うことも問うこともないくらいに愛し合ったまま離別する者たちを結婚する者(家族を持つ者)と呼びます。〈別離〉とは、愛し合ったまま別れざるを得ない者たちにしか使ってはいけません。別離とは死別以外にありえないものです。こんなにもつらいことはありません。
結婚する二人は、もっとも決定的な出会いを体験したが故にもっともつらい別れを覚悟しなければならない二人でもあります。結婚式が酒宴の席でもあるのは、その耐え難いつらさをかき消すための場でもあるからです。
キリスト教では「死が二人を分かつまで…」と言います(私はクリスチャンではありませんが)。これは半分真理、半分は正しくありません。実際には二人は同時に死ねるわけではないからです。
世の中では“良妻賢母”などと言いますが、私は、掃除が上手、料理が上手、子育てが上手、そんなことはどうでもよいと思っております。
このあいだ、戦後詩の代表的な詩人、茨木のり子が死にましたが、その大先輩にあたる永瀬清子の詩に『悲しめる友よ』という詩があります。
悲しめる友よ
女性は男性よりさきに死んではいけない。
男性より一日でもあとに残って、挫折する彼を見送り、またそれを被わなければならない。
男性がひとりあとへ残ったならば誰が十字架からおろし埋葬するであろうか。
聖書にあるとおり女性はその時必要であり、それが女性の大きな仕事だから、あとへ残って悲しむ女性は、女性の本当の仕事をしているのだ。
だから女性は男より弱い者であるとか、理性的でないとか、世間を知らないとか、さまざまに考えられているが、女性自身はそれにつりこまれる事はない。
これらの事はどこの田舎の老婆も知っていることであり、女子大学で教えないだけなのだ。
(実際に私がこの披露宴で暗唱したのは3行目まで)
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