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ユニバーサルデザイン論・補遺 ― フットライトの意味(2006-03-06 22:58:31)へのコメント

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by mizuki(2006-03-07 19:05:55)

私共の稚拙なBLOGへのコメント(http://heiwa.a-n.fem.jp/?eid=463653)、ありがとうございました。

芦田さんの感情移入-Empathy(演劇用語ではなぜかcatharsis・catharsismとも言います)は本当に素晴らしいclueです。

芦田さんのBLOGとの出会いは「ソフィー」(http://www.ashida.info/blog/2004/09/hamaenco_4_90.html)からの不思議な宿題だと思って、少しずつ拝見させていただいています。

想像の創造が、私の仕事ですが、そのためには、「サボっていたことこそ今のこの私に必要なことだった!」と、8月30日あたりにやっと夏の宿題帳を開く小学生のようです。

でも、開いてみたら、その宿題は、遊びほうけるよりも面白かった。

これからもよろしくお願いいたします。


by ashida(2006-03-08 13:06:52)

MIZUKI 様
catharsis は、ギリシア語が語源で排泄作用を意味する言葉ですが、アリストテレスが詩学を論じるときに魂のノイズを排泄する、つまり人間の身体性を排泄するところにまで抽象化して使ったものですから、演劇界でも使われるようになったのでしょう。

それが Empathy と同義だとすれば、たぶん catharsis は身体性の消去そのものを意味すると思います。つまり〈一体化〉(あるいは〈超越〉)です。身体というベールを脱いだ一体化(超越)=魂の露現です。

たぶん演劇のダイナミクスは、それ(=魂の露現)をその対極の身体を使いながら実現するという矛盾の中にあります。

面白い仕事をされていますね。せっかくのご縁だから一度ぜひ見せてもらいたいと思います。


by つくしんぼう(2006-03-08 18:04:58)

「トラックバック」ってすごいですね。いろんなところに連れて行ってくれますね。インターネットにもついて行けない私はただただ感激してばかりです。

フットライトは我が家にもつけました。2世帯で家を建て直した時に。階段の一段目にもつけたのですが、母なんて昼間でもよろよろしてるのに「もったいない」と言ってすぐに消してしまいます。

昔の人は、夜中はくらいもの、電気は消すものと思いこんでいますが、この記事を読んで聞かせてみたら、素直に納得したのです。高齢者や障害者と健常者のラインはないのですね。


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