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ニコルの顧客対応は許せない ― コミュニケーションは難しい[日常]
(2005-12-15 00:31:58) by 芦田 宏直


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今週の月曜日から一週間かけて1年点検。昨年車検だったので、今年からは1年毎になる。月曜日に代車(FFのサニー)を出してもらって、家内にも運転をさせたことのない(運転席に座らせたことさえない)愛車を手渡すときが一番さびしい。クルマを買ったのは青山のニコルオートモビルズだが、ニコルの整備サービス工場(http://job.mycom.co.jp/06/pc/visitor/search/corp71618/outline.html)は川崎にある。遠い。金曜日まで1週間預けなければならない。

愛車はそろそろタイヤの山が無くなりかけているが、275の30タイヤ(19inch)は一本6万円もする。もう少し乗らないと例のカシミヤセーター代(http://www.ashida.info/blog/2005/12/post_61.html#comments)のもとが取れない。なんて思っている内に、車庫の出入りのためのシャッターをあけるリモコン(名刺大の)を忘れてしまった。

そこで、早速電話。「昨日、白のB10を引き取ってもらった芦田ですが、シャッターリモコンをナビのモニタの後ろに置き忘れました。探してもらえますか。あれば電話をいただけますか」。女性の受付だった。

しばらくして、サービス担当の責任者、(いつもお世話になっている)出野(での)さんから電話。「ありました。どういたしましょうか」「ありがとうございます。着払いで結構なので送っていただけますか」「わかりました」と出野さん。

「ところで、ニコルで275、30(「ニーナナゴ・サンマル」と読む)の(ミシュランの)パイロットスポーツはいくらしますか」「今はサービス期間中で1本6万円くらいですが」(私はこの3日間で6万円という言葉を2度聞いている。カシミヤセーターとミシュランタイヤ)。「高いね。量販店でも5万円以下だのに」「申し訳ございません」

そして、今日職場にシャッターリモコンが届いたが、言ったとおり、「着払い」だった。別に言ったとおり「着払い」なのだから、それでどうだと言われればどうということもないが、全財産を売り払って、清水の舞台から飛び込む気持ちで買い込んだ車を扱っているディーラーの“くせに”(2割り増しでタイヤを売っても商売になる利益率の高い車を扱っている“くせに”)、客が「着払い」と言ったからと言ってなぜ本当に「着払い」にするのだ。

そんなことにけちを付ける客はニコルの客ではない、という声も聞こえてきそうだが、それはおかしい。私はファミリーレストランが大好きだが、しかしデニーズに入って、若い女の子の接客態度が悪い、などと怒ったことはない。出てくる料理の安さは、接客対応のまずさと相殺されているからだ。自宅の隣のサンマルク(http://www.saint-marc.co.jp/saint_main/i.html)蘆花公園店でも、ここの店員は忙しくなってくるとフロアを走るのだが、それでも殴りかかったりはしない(ほんとうに殴ってやろうかといつも思っているが)。デニーズの店員もサンマルクの店員でもレストランで走る、ということがどういうことなのかまったくわかっていないのだ(私は走られる度に料理がほこりにまみれて泥だらけになり、自らが重症の喘息にかかったような気になる)。でも我慢。そんなところまでのお金を払っていないのだから(余談だが、私はサンマルクの方がデニーズよりも高級だと思っている客の気がしれない)。

それでも、4万円台でどこででも買えるタイヤをサービス期間中さえも6万円で売ることのできるニコルオートモビルズが、しかも1年点検で15万円近くも取るニコルオートモビルズが、なぜお客が忘れた名刺大のシャッターリモコン(厚さは5ミリ)を送り戻すのに(客の言った通り)「着払い」にするのだ。

私はこれこそが「コミュニケーション能力」の問題だと思う。〈コミュニケーション能力〉とは、顧客の言うことを聞くことではなくて、相手の出方を問うまでもなく、自分の節度とプライドを守ることなのだ。客を撰ばないこと、やくざにでも貴族にでも同じ態度を取ることができることを〈コミュニケーション〉というのだ。出野(での)さんの態度は、ニコルで働いている“くせに”、ニコルの客をバカにしている。私はやくざどころか、金魚やもみじにまで〈コミュニケーション〉をとっているというのに(http://www.ashida.info/blog/2005/01/hamaenco_5_123.html)。

かつてアルピナのボーフェンジーペン(http://www.bmw-alpina.co.jp/automobiles/museum/history/)社長は、バブル期でも年間生産台数を500台前後で維持していた(10年以上経った今でもあまり変わりはない)。ポルシェがオートマ車を出して大量生産に踏み切った同時期にでもアルピナは節度を守った。

理由は「われわれの作る車の乗り味を理解できる人がそんなにたくさんいるとは思えない」というものだった。うれしいことを言ってくれるではないか。全財産をはたいてしかも5年ローンで買った甲斐があるというものだ。その言葉通りにすばらしいクルマに巡り会えたと思っている。

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