by Y(2005-12-16 20:22:49)
はじめまして。ペンネームで失礼します。
私は生徒ではないのですが、あるきっかけでいつも拝見させていただくようになりました。
むずかしいとおもうところが多いのですが、今回は表面では分かりやすい日常の題材で興味を惹かれました。
芦田さんは、出野さんの対応をコミュニケーション能力の定義をされた上で、その能力の問題とされていますが、たとえば私はこう考えられないか、と思いました。
もし、道徳を相手を思う、相手の立場を思う、または、相手、周りの全体を考えて行動することと素朴に考えることにすると、これは道徳として説明することはできないでしょうか。
それと申しますのも、道徳とはなにかを明確にしないで、道徳的な物言いの批判、道徳批判をするというのが相変わらずすこしインテリめいた人、知識人に多いと思うからです。
芦田さんは電車にはお乗りになることはないかもしれませんが、例えば7人掛けの長いすには大抵の人が隙間を隣の人と空けつつ5−6人が、他に立っている人が多いのに座っています。これはこの人たちに道徳が欠けてるのか、気が利かないだけなのか、あるいは新宿でもどこでも周りをみないで歩き、人とぶつかっても振り向きもしない人たち、こういう人がほとんどの現状で道徳批判をすることにいかほどの意味があるのか、と日頃よく思うからです。
出野さんの対応とこういう人たちの行動のつながりを説明できるのか、芦田さんはどうお考えになるだろうか、では人によってのコミュニケーション能力の有無はどんな風に出来上がっていくのか、教育の問題とつながるのか、などいろいろと思った次第です。
今回の芦田さんの記事で多くの人がそういうふうに考えて行動するものか、と教えられたと思います。
by 接客業経験者(2005-12-18 11:24:32)
道徳とか知識人とかではなくて、出野様には大切なお客様に対する心がけが足りないのだと思いますが。友人に頼まれたのとは意味が違います。それだけのことでは?
by 平凡主婦(2005-12-19 14:28:47)
いつも芦田先生のページを見させていただいています。音楽のお話や映画のお話以外はとても難しくて・・・それでも毎日楽しみにしています。
今日のお話を主人にして(彼は仕事以外ほとんどパソコンをいじらない人です。そして本人曰くトップセールスマン?だそうです)あなたならどうする?ってきいて見ました。
かれは「ぼくならお客さんのところに持参するね」と即答しました。お金の問題ではなく自分だったらどうしてもらいたいかをいつも考えているそうです。それが結局は信頼となって次の仕事に繋がるんだと、だからぼくにはお客さんのほうから仕事の依頼があって切れることがないんだよって。 商社マンの主人の一面を知って少し彼を見直しました。芦田先生のご指摘が相手の方に届けばいいのにと思います。
by ashida(2005-12-20 08:30:29)
「平凡主婦」様
これはご夫婦の“おのろけ”に聞こえました。私のブログで、ご夫婦の会話が弾んだことを光栄に思います。
by おかざき(2005-12-21 09:45:37)
多くの人は特に今の職場で働きたいわけでもないのではないでしょうか。そういう人に会社精神を求めても無駄でしょう。多くの人は別に職業に愛着などないのではないでしょうか。