昨日(10月30日:火曜日)は、財団法人専修学校教育振興会、全国学校法人立専門学校協会主催の「自己点検・評価」研修会(http://www.sgec.or.jp/sgec/2004/1105jiko.pdf)に参加してきた。東京会場は青山にある「ホテルフロラシオン青山」(http://www.floracion-aoyama.com/)。「自己点検・評価」研修会は、講師になることの方が多いので、聞き手になるといろいろなことが学べてまたまたよく勉強ができた。
講演者は3人。?東洋大学名誉教授 倉内志郎(http://bookweb.kinokuniya.co.jp/guest/cgi-bin/wshosea.cgi?W-FAUTH=%91q%93%E0%8Ej%98Y&RECNO=1&HITCNT=010) ?富山情報ビジネス専門学校(http://www.bit.urayama.ac.jp/)副校長 喜多賢治 ?日本音楽学校(http://www.gakkou.net/cgi-bin/view.cgi?code=52535&mode=info)学校長 小林 志郎。
最初の倉内教授が一番面白くなかった。この人を代表とする調査組織が行った報告書(『専門学校の「自己点検・評価」に関する調査報告書』平成15年度 財団法人専修学校教育振興会発行) ― この調査が専門学校の「自己点検・評価」運動の機縁となっているのだが ― には次のようなことが書かれている(昨日はこの1年も前に出た報告書の平板な説明に終始していた)。
「意見には、大きく二つの方法が見られる。ひとつは専門学校それぞれの個性を犠牲にせず、多様な点検・評価の方法、多様な基準を用いてそれらを総合的に評価すべきであるという意見である。もうひとつはできるだけ共通の指標を用い、定義も基準も明確にして統一的な評価を行う。それによって客観的で比較可能な評価を実施すべきだという意見である。その間をとってこの二つの点検・評価を同時にやるべきだという意見もある。共通にできる部分は厳格に統一様式で行う。あとは多様性、個性を尊重して個別の学校に任せるという提案である」(前掲書 32頁)。
バカなことが書いてある。「自己点検・評価」の出発点は、90年代初頭に始まる教育(大学)の規制緩和だ。この方向は90年代中盤以降のインターネットの進展(=グローバル化)の大きなうねりによっていちだんと加速している。文科省(当時は文部省)もいよいよ設置基準(=規制)を緩和して、設置後の実績の点検・評価を強化する方針を打ち出しはじめたのだ。ところが、10年以上たった今でも有効な自己点検・評価が(自己満足的な「自己点検・評価」しか)登場しなかった。そこで「第三者評価」という契機が加わった。しかしそれは“客観的な”共通指標で学校を点検・評価しようというものではない。そうであれば、それは規制緩和ではなくて、形を変えた規制強化でしかない。
90年以降のどの大学審議会の報告書を見ても、「自己点検・評価」は、それぞれの大学の教育の「自主性」「自立性」「自律性」「個性」「特長」を活かすためのものだと繰り返し強調されている。「第三者評価」は、そういった各大学や学校が教育理念として掲げる「自主性」や「個性」が実際にそうなっているかどうか、どのようにして自らの教育の理想を実現しようとしているのか、その結果(実績)はどうであったのかを“客観的に”「評価」するものであって、共通指標の形成とは何の関係もない。
この全国レベルの調査の終盤で並行的にすすめられた東京都「専修学校構想懇談会」の「報告書」(平成15年3月)には、〈規制緩和〉と〈第三者評価〉との関係が次のように的確にまとめられている。
「(…)規制緩和と学校評価の関係が実は補完関係にあるということである。設置認可制度については、社会の変化・ニーズに応じて、学校が自ら積極的に改革できるよう、できる限り弾力化すべきとの意見があり、規制を可能な限り緩和する方向にある中で、第三者評価が逆行するとの議論がある。
しかし、今回の国の改正法を見ると、先の専門職大学院の創設のほかに、学部等の設置を現行の認可制から届け出制に緩和する規制緩和と大学に対する第三者評価制度の導入がセットで盛り込まれているのである。これは第三者評価が、むしろ規制緩和を進めるための補完的役割として位置付けられていることを意味している。すなわち、学校の自主性・自律性を尊重し、行政の関与を抑制する一方で、その学校の「質」を継続的に保証していくためのシステムとして、この第三者評価が捉えられているということである」(「専門学校の新たな取り組み」東京都専修学校構想懇談会報告書 平成15年3月)