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デリダ追悼(1’) ― 「存在論から現象学へ」(1994年):ヘーゲル・フッサール・ハイデガー・デリダ(2004-10-26 23:43:30)へのコメント

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by sophiologist(2007-08-26 00:12:08)

芦田様

初めまして。

ハイデガーとデリダで検索していたら、本ページに遭遇しました。

私は、哲学のアマチュアですが、デリダの『声と現象』を読んで、芦田様のように、フッサール現象学を曲解していると感じました。

私は、ポスト・モダン哲学は、結局、フッサール/ハイデガー現象学が原点だと思っています。

強いて言えば、ハイデガー現象学だと思います。ポスト・モダン哲学の不幸は、構造主義という科学的思想へ対処しなくてはならなかった点にあるのではないかと思っています。

哲学的には、現象学の方が、構造主義より進んでいたと思います。

 さて、本ページのハイデガー現象学に関する箇所は、まだ読解できていませんが、私見では、フッサール現象学の発見した超越論性とハイデガーの存在とを結びつけて、超越論的存在論が可能ではないかと思います。

『存在と時間』では、現存在の分析に偏っていて、存在の超越論性が論じられていないように思えます。

 さらに、芦田様の論考を理解したいと思っています。


by ashida(2007-08-26 23:52:35)

20年前の私の論考に、ありがたい講評を頂いて感謝しています。

「ポスト・モダン哲学の不幸」(とあなたは書かれていますが)は、私に言わせれば、未だにマルクス主義のを尻尾(カウンターパンチ)を引きずっていたという点にあると思います。あなたの言う「構造主義」もそうです。

私がこれから何かを書くとしたら、そう言った点について思いを巡らしてみたいと思います。

乞うご期待。


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