モバイル『芦田の毎日』

mobile ver1.0

「電子手帳」よ、どこへ行く ― モバイル機器入門講座[商品批評]
(2004-09-05 15:13:41) by 芦田 宏直


< ページ移動: 1 2 3 4 5 6 >

私の現在のモバイル機は、シグマリオンIII(http://www.nttdocomo.co.jp/info/products/sigmarion3/style/index.html)とSONYのCLIE PEG-TJ37(http://www.sony.jp/products/Consumer/PEG/PEG-TJ37/index.html)。

電子手帳(=PDA:Personal Digital Assistant)と私との付き合いは、1990年より前のCASIOの電子手帳時代以来だから長い。『芦田の毎日』の古い記事には以下のような記述がある。少し長くなるが引用してみる。

「『ザウルス』はPI-3000として1993年10月(定価65000円)に発売された。それを買うまでは、私はカシオの「電子手帳」派だった。シャープのそれは、カバーがビニール製で好きになれなかったことと文字入力が特殊な方法だったからである。いずれにしても1993年以前はカシオとシャープが互角に戦っていた。3代くらいのデータがたまっていたカシオ派の私が「ザウルス」に転向したのは(丸々二日間かけてデータを手入力で移した)、このザウルスで、初めて(つまり、“電子手帳”至上初めて)、文字変換せずに、手書きの走り書きができるようになったからである(ついでに言うと手書き認識ができるようになったことも大きかったが、当時の私はそれにあまり大きな魅力を感じなかった。キーボード入力については1983年以来ワープロになじんでいたからである)。

紙の手帳と電子手帳との利便性の差は、一覧性(見開きの手帳の広さ!)において電子手帳が劣るという問題と、なんと言っても速記性(走り書き)の問題が残っていた。もちろん場合によっては、走り書きにおいてさえキー入力の方が早いかもしれないが、心理的な敷居としては、即応性が求められる“電子手帳”におけるいちいちの文字変換は結構、電子派になれない“問題”だったのである。

一覧性の問題は、“電子手帳”の欠陥と言うよりは、選択の問題だ。私が一覧性を犠牲にしてでも初期の“電子手帳“に走ったのは、毎日、毎年増えていく“連絡先”の紙への記録は、データの自殺に近い出来事だと思ったからである。毎年紙の手帳を変える場合、どうやって昨年のデータをコンバートするのか。コンバートなどできない。手書きの移し替えには限界がある。データを活かそうとすれば“同じもの”を添付し続けるしかない。たまればたまるほど、文字は見えなくなる。紙もぼろぼろになる。要するにデータ“ベース”にならない。この問題の方が、一覧性の問題よりよほど深刻だった。

しかし手帳の本質を速記性に見る人が電子手帳を認めないという理由は、電子派の難敵だった。ザウルスPI-3000がそれを突破したのである。

ザウルスの成長期には、三つの予期し得ぬ、しかし並行する成熟があった。

1)パソコン通信にはじまり、インターネットへと成長するネットワーク社会の急激な成熟。

2)携帯電話の急激な普及。

3)ワープロからパソコンへの急激な転換、普及

 ザウルスと並行して始まったこれらの三つの歴史的な成熟の、(ザウルスにとっての)最も大きい衝撃は、携帯電話の普及である。手帳の大きな機能であった電話番号参照が、まずなくなった。すべては電話の中に入るようになったからである。〈電話帳〉というものがなくなったのである。

 そして、旧来の“ネットワーク”のすべてであった電話と電話帳の領域において、あらたにメールアドレスを中心にしたインターネットが普及し始める。スケジュール管理ともう一つの柱である電話(=電話帳)を想定して出発したザウルスにとって、インターネットとの結合は難題中の難題だった。一つには、モデムの電池消耗量が激しく、ACアダプタなしの使用は不可能になってしまったこと。二つ目には、メールのやり取り程度なら充分だが、ホームページ閲覧となるとモニタの大きさが致命的なものになること。

 最初の問題は、携帯電話に完敗してしまった。リアルタイムメール受発信において携帯電話(とその電池のもち)に勝るものはない。携帯電話がインターネットメールメディアとして向いていたのは、それが常時接続メディアであったこと、また常時接続状態であると共に常時携帯メディアであったことである。ザウルスは、その二つの条件において中途半端なままの存在だった。二つ目のモニタの問題は、手帳の大きさにとどまる以上、解決不可能な問題だ。

 そうこうするうちに、パソコン普及が爆発的なものとなってきた。これはザウルスの初期には想定の枠外だった。ザウルスの登場の当時には、ワープロ専用機の成熟期だった。この意味は、ザウルスデータは、まだザウルスの中だけの世界だった、ということである。今のようなパソコンデータとのシンクロなどというようなことは想定されてはいなかった。むしろキーボードに全くなじめない反ワープロ派、反パソコン派のためのせめてもの“電子”ツールがザウルスだったのである。キー入力より決して速くはない手書き文字認識機能をザウルスの第一のキャッチコピーにしていたことからもそれはあきらかだ。

< ページ移動: 1 2 3 4 5 6 >


コメント投稿
次の記事へ >
< 前の記事へ
TOPへ戻る