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2004年度入学式式辞 ― かけ算の思考、割り算の思考[入学式・卒業式式辞]
(2004-04-08 23:50:55) by 芦田 宏直


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今日はわが学園グループの入学式だった(於:中野サンプラザ)。4校を代表して私が式辞を話したが、式辞というものは、卒業式にしても入学式にしても、終わった後の達成感が全くない。私は原稿もなしでしゃべり続ける方だが(今回は20分から30分しゃべり続けていたらしい)、しかし原稿はフルテキストでまず書き下ろす(しかし書き終えたのは今日の朝11:00だった)。そしてストーリーを頭の中にINPUTするために、MS-Wordのアウトラインモードでそのフルテキストを見ずに書き直す。それを何度か繰り返す。そうやってストーリーをたたき込む。

トークの場合は、「レベル1」(MS-Wordのアウトラインモード)の水準をたたき込めばほとんど大丈夫だが、それが本番ではたまに飛ぶ場合がある。きわめて平板なトークに終始する場合がある。今回はその失敗はなかったが、しかし失敗はなくても式辞というのはその形式性故に手応えがない。それがむなしい。以下は、そのフルテキストです。もちろん早稲田の総長の式辞(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=285)よりははるかにまともな式辞だと思いますが。

●みなさん入学おめでとうございます。お忙しい中お越しいただいた来賓の方々、保護者の方々、ありがとうございます。教職員も含め入学生諸君も多数の方に列席いただいて喜んでいると思います。

今日のこの入学式は、学校とみなさんの最初の出会いの場であると共に、最初の一コマ目の授業の場でもあります。校長の式辞はその最初のメッセージだと思って下さい。

みなさんは、ほとんどの方が、この学校を最後の学びの場として卒業されていくかと思います。学校で学ぶということは、いったいどういう意味なのでしょうか。世間では「生涯学習時代」などと言って、社会人であろうと学生であろうと、その垣根はないもののように思われていますが本当にそうなのでしょうか。

学生時代と社会人になってからの勉強の一番の違いは、〈必要〉かどうか、ということが最大の目安になります。

〈社会人〉になると、毎日毎日「必要な」勉強に迫られます。勉強しないと「上司」からは怒られるし、「仲間」にも迷惑をかけるし、「お客様」にも満足してもらえない、そんな「必要」から勉強をすることが日常的になります。言い換えれば、「生活がかかっている」勉強というもののほとんどはそういうものです。「必要」に迫られて他人との関係を無視できない勉強。これが社会人の学習の特質です。「必要」「必要」の連続を通常「経験を積む」といいます。経験を積みながら、その道の〈専門家〉になる。これが職業人の学習の傾向です。

それに反して、学校の勉強はそういった意味で特に誰かに迷惑をかけるというものではありません。赤点を取って卒業できないのなら、親に迷惑をかけることはあっても、ほとんどは自業自得という程度。自分(か家族)で責任をとればよいというものになります。いずれにしても内輪話にすぎません。

これは、学校教育の甘さ(自己満足的な甘さ)、のようにも見えますが、私はそうは思いません。

先月、企業人材マネジメントの「第一人者」と言われている人と会う機会がありました。その人は、こんなことを言っていました。企業の人材を配置する上で重要なことはその人が学んだ専門よりも少しずれた部署に(その人を)置くことだ、と彼は言っていました。

面白いことを言う人だな、と私は思いました。

たぶんその人が言いたいことはこういうことです。自分の専門で得意なことは自信があるからいつも同じ仕方で仕事をしてしまう。それは好きなことであっても同じです。自信がない、好きではない仕事に向かうときには色々と試行錯誤して新しいことを発見したりする。専門的な仕事には或る意味で“発見”がない。それに専門家は専門家であるが故に他人の言うことを聞かない。「素人」だと言って専門家がバカにするような発言や行動の中に新しい価値やマーケットが存在する可能性があるにもかかわらず、専門家は他人の言うことをきかない。

だから専門家には専門的な仕事を任せないほうがいい。専門とは少しずれた仕事をさせるところに本来の専門家活用の道がある。それがその人の言いたかったことなのだと思います。

i-modeを作った元リクルートの松永真理さんもパソコンなど全くできなかった人です。インターネットもやったことがない。携帯電話をもったこともない、そんな人でした。だからこそi-modeはパソコンを使えない人でもインターネットを使えるようになったのです。そして文明を変えるような爆発的なヒットを生み出しました。

これは従来の企業行動の反省でもあります。企業は利益を追求します。利益を追求するというのは、無駄を省き、合理性を追求するということです。一つのことに成功すると今度はそれをよりコストをかけずに実現する、より時間をかけずに短時間で実現する。

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