今日は息子・太郎の卒業式。家内はもちろん行けないので、私が行くことにした。戸山高校に行くのは入学式以来(http://www.ashida.info/trees/trees.cgi?log=&search=%93s%97%a7&mode=and&v=325&e=msg&lp=325&st=0)のことだ。この高校は、入学式のときからおかしかった。父兄や教員の、結構の数が、古典左翼に染まっていて、まず、君が代斉唱について、「立ちたかったら立って下さい」と公務員の先生が言う。入学式のときは、ぽつりぽつり立つ人がいたが、何か異様な雰囲気が漂っていた(私は邪魔くさかったので座っていたが、しかし勇気を持って立つ人がかわいそうだった)。
今回も、どうなることやらと思っていたが(今回もそんなことをしたら「ちょっと待て」と大声で止めてやろうと思っていた)、一応「一同起立」で始まった。中にはわざわざ座って立たない(唱わない)人もいたが、それは自由だ。
しかし、しばらく立つとやはりこの学校はおかしいことがわかった。来賓によって、拍手する人としない人がいる。都議会議員や教育委員会の来賓には(わざわざ紹介しておきながら)誰も拍手をしない。校友会代表(校長に批判的な“祝辞”を述べていたが)には拍手をする。パラパラとだが拍手をする。それがまた異様。この学校の父兄は“儀礼”(右翼、左翼を超えた)というものを知らない。
この学校の父兄(や教員)に言いたいが、それほど君が代が嫌で“自主・自立”が好きなのなら、公務員の教員が教える公立高校に子供を入学させないことだ。
以下は、息子の太郎の今日の答辞の原稿です。たいしたしゃべりでもないのに、結構受けていました。(笑い)は、できるだけ思い出して正確に再現・挿入しました。
●2003年度都立戸山高校卒業式答辞
中学校3年当時、青山高校(http://www.aoyama-h.metro.tokyo.jp/)か、戸山高校(http://www.toyama-h.metro.tokyo.jp/)どちらに進学するか悩んでいるクラスメイトがいました。ここではA君とします。
僕はA君にこう説得しました。「共に戸山でバッテリーを組んで甲子園を目指そう!!」(笑い)。
僕は中学校のサッカー部で部長を務めていましたが、顧問との人間関係でいっぱいいっぱいになり、サッカーどころではなくなってサッカーが嫌いになっていました(笑い)。
だから保育園の頃から草野球で培った野球歴を生かし、戸山に入学したら野球部に入部しようと思っていたのです。こうして僕に説得されたA君は僕と共に戸山を目指すことになりました。
ところが予想もしなかったことが起きました。それは願書提出の日でした。今でも鮮明に覚えています。その日は雨でした(笑い)。
戸山の願書受付の会場で目にした光景は僕とA君を驚かせました。今思うと時間帯が悪かったのかもしれませんが、僕等の同級生となるであろう受験生たちは、全員と言っては大げさですが、制服のズボンは靴下が見えるくらい短く、いかにも秀才風で、「どんな問題でも解いてやるぜ」的な人ばかりだったのです(笑い)。
僕とA君は明らかに場違いな感じがしました。なんとか願書を出し終えた帰り道、僕等に会話はほとんどありませんでした(笑い)。
A君が言いました。「おれ、あの高校で友達できるのかな・・・」。僕は返す言葉が見つかりませんでしたが、気力を振り絞って「大丈夫だよ。一緒に甲子園行こうぜ!」と返しました。正直僕も不安でしたが、いまさら引き下がるわけには行きませんでした(笑い)。
そして悲劇は起きました(笑い)。願書再提出の日、僕はA君から衝撃告白を受けます。「芦田、おれやっぱ青山に行くよ(大笑い)。だから青山に再提出した」。
かなりのショックを受けましたが、僕は強がって「そっか。おまえの人生だもんな! そう思うんだったらそうした方がいいよ! じゃああと少し頑張ろうぜ!」と無理して返しました。
そして月日は流れ、僕は念願の戸山高校、A君は青山高校に進学したのでした(笑い)。
僕は戸山に入ったからにはA君に「青山じゃなくて戸山に行けばよかったよ」と後悔させるくらい、充実した高校生活を送ろうと決心しました。
しかしそうは言うものの、やはり僕は不安でした。「願書提出の時のようなマジメ君だらけだったらどうしよう・・・ おれは友達が出来るのか?!」(笑い)