要するに、〈能力〉や〈才能〉というものは弱いものへと向けられるものなのではなくて、いつでも自分よりも強いものへと向けられるべきだと言うことだ。だから、〈能力〉や〈才能〉というものは、いつでも自己否定(一つの悲劇)であって、再認(弱い者をいじめた後に残る自己の再認)のための道具ではないのだ。
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