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症状報告(40) ― 母親が泣いていた(2004-01-05 01:44:38)へのコメント


by 黒ひげ,太田勝己(2007-04-20 18:39:17)

始めまして。奥様のマイミクからご主人のブログを見てメールをしています。

私は気功で難病治療の仕事をしています(勧誘ではありません)。

その仕事を始めたイキサツは家内の病気からです。

簡単に経過を。

家内はリュウマチです。一年で末期まで(普通15年以上かかる)進んだ珍しいケースでした。

一年で骨の変形が進み。大腿骨の軟骨は無くなりました。ですからヒザ、肘、指の軟骨もなくしました。一年目でほぼ寝たきり、寝返りもトイレ、風呂も自力では出来ませんでした。

その時点で国立のリュウマチ専門科に行ったところ、「もう治療の出来るレベルではありません。入院してもしかたないので後は家族と共に過ごして下さい」と言われました。

そこでもらったのは薬でなくリュウマチ患者の書いた手記の本でした。

私が30歳のときです。それからリュウマチを認識しました(当時は病気の事も薬の説明もない時代でした)。

以来薬はズット同じステロイド(プレドニン)です。26年間同じ薬はありえないそうです。手術をズット言われてきましたがしませんでした。

今振り返ると私の気功の効果は多くあったと思います。

?薬の副作用が余り出なかった。

?筋肉、関節の磨耗で理論的には出来ない稼動率。曲げる。立つ。歩く等が随分出来るようになりました。風呂、トイレも自分で出来るようになりましたし。他にも色々です。書けばキリがありません。

要は医師の見解では説明できない体と数値の向上です。

?私は西洋医学で出来ない部分を家内に対する想いの中での気功で治療してきました。

何回か医師の前で実演もして来ました。やり方はやはり多くキリがありません。

長くなりました。人は冷たいものです。26年の病歴の中では離れていった親戚もあります。医学で対応しきれない病気もあります。気功といってもそんなに治すのを見た事もありません。ですから私の場合は家内に対する想いの中で出来た気功だと思います。

パーキンソン。脳梗塞の後遺症。クローン。ガン。リュウマチに比べて(気に関してです)全て対応しやすい病気でした。ですからこの仕事を始められたと思います。

余分な優しさは病気に負けます。何年も病気と向き合うには日々現実があります。その上であるレベルまでは私達の場合は克服できました。

病院を替わった時の治療内容には目眩がするほど医者は無知でした。体の事は本当にデーターでしか見れないのが現状だと思っています。しかたない事だと思います。24時間病気の体と向き合って解る事もあります。

歩けない。立てないはリハビリしか対応しないのも仕方ありません。しかし家族は見ていますし、何とかしたいと願いますから。

ですから私は頭のツボから体の部分へ脳を通して気を送る練習と勉強をしました。年齢に関係なく動きの機能を高める事が出来るようになりました。しかたありません。医者は解らない。出来ない事として終わりますので家族の私がするしかありませんでしたので。

奇跡は起こせませんがあるレベルまでの治癒を目指してする事は可能との想いを持つ事は重要と考えます。特に夫婦は伝わりますので。

気。想いは伝わります。今では患者さんは視力は治療なしで最初の5分位の会話の中で回復します。これは伝わると言うことです。夫婦、家族は同じ家で同じ食事をし、生活をしていますので必ず想いは伝染します。良い想いも悪い想いもです。薬にも想いは伝染していきます。

話がまとまりませんが、ご主人も大変だと察します。病気、薬、治療と良い思い。希望を持って治療に当たられる事を願います。

私の家内は2年前にガンで亡くなりました。2ヶ月といわれましたが7ヶ月持ちました。

最初から抗がん剤も入院も出来ませんでした。腹水が溜まり、モルヒネだけの在宅でしたが亡くなる翌日まで食事もし、水も飲みました。

医学ではナカナカありえないそうです。腹水が溜まる中で話しもし。これはやはり想いの気の効果だと思います。その間看護婦さん。ヘルパーさんの随分治療しました。それは家内の状況を見ていたから彼女らも受け入れてくれたのだと思います。

まとまらない内容のメールで失礼しました。もし奥様の体の稼動等でいきずまりがあれば(痛み、振るえ、力が入らない、等)メール頂ければ遠隔で治療させて頂きます。

病気の根本については医者ではないのでコメントは控えさせて頂きます。

突然で失礼しました。

太田 勝己


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