NHKの報道検閲の問題が広がっているが、ふざけた話だ。要するに〈作品〉と〈仕事〉に喚起力がなかっただけのことなのに、それを検閲問題にすり替えている。どんな仕事もさまざまな抑圧の中でなされている。毎回それを取り払いながら仕事はなされている。
上長が仕事を認めないのは、上長がバカなのではなくて、バカな上長を納得させられない自分の仕事の貧相さそのものにある。それだけのことだ。表現の自由を侵犯する、などというが、どんな仕事上の抑圧もほとんど法律以前、ライン外(会議決定外)のところで起こっている。
ライン決定というのは、仕事を取り巻く抑圧の中でごく一部のことだ。すべてはそれ以前にほとんど決着している。毎日が決断の日々だからだ。毎日がどちらを選択しても正しい、どちらを選択しても間違っている、それを決断しなければならない日々だからだ。法律からも会議からも支援のない決断や抑圧の方がはるかに多い。「政治の介入」などというのは問題の拡大なのではなくて、問題の矮小化なのである。