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SONYの凋落は、90年代半ばに始まった。それは、平面ブラウン管テレビが絶頂期にあったときと重なっている。
もともとSONYの「トリニトロン管」(http://www.sony.jp/products/Consumer/Peripheral/Display/CRT/technology/tec1.html)は、フルフラットな画面を作ることに適していた。トリニトロン管は縦方向にはもともと“フラット”だったからである。まさにトリニトロン管の面目躍如、といったふうだった。
なぜ、平面ブラウン管テレビは当時買い換え需要も含めて売れたのか? テレビの進化が、画質だけではなく、誰にもわかる形(スクリーンのように平面になったテレビ画面)の変化として現象したからだ。秋葉原の電気街に並んだテレビの画質を比較するのは少しばかりの修練がいるが、これ平面だよね、というのは目が見えれば誰にでもわかる。目が見えなくても触ればわかる。違いが単純にわかったのである。こんな今更のテレビに於ける変化は、(ちょっと大げさにいえば)カラーテレビが出現したときと同じくらいに衝撃的だった。トリニトロン管の有利が、こんなにも大衆的な規模で“理解”されたときはなかった。私は、私の高校時代(70年代初頭)にはやったトリニトロンカラーテレビの宣伝歌(たしか『謎の円盤UFO』http://www.yk.rim.or.jp/~makoto96/index.cgiのスポンサー広告だった)をいまだに覚えている。
「SONY、SONY、トリニトロンカラー♪ ワンガンスリービーム、ワンガンスリービーム、トリニトロンカラー♪ SONY、世界のカラー♪」
今でも覚えているし(高らかに)歌えるが、当時、私はこのテレビ宣伝歌をわざわざカセットにまで録音して歌っていたらしい(家内の記憶)。
このワンガンスリービームの、色にじみを抑える、という技術的な長所とは別にフラット画面というところで(30年近く立って)大衆的な支持を受けるというのは、さすがのSONYも思いもよらなかったことだろう。
それが90年代半ばである。SONYはテレビシェアをこれまでになく一挙に伸ばした。SONYのコア技術を担ってきた伝統のトリニトロン事業部は、まさにSONYプレゼンス(SONY、ここにあり)の極点に立ったのである。
しかし、人は得意なものに溺れがち。頂点に立つ者の下り坂のスピードも速いが、早いが故に止められもしない。没落する者(たち)ほどプレゼンスを強く誇示する者なのだ。
そうやってSONYは、液晶やプラズマ技術開発に乗り遅れた。よく指摘されるこの現象は、SONYのもっとも得意なトリニトロン技術が邪魔をしたものだったのである。平面ブラウン管ブームがなければ、こんなふうには事態は進まなかった。
誰が、コア技術が韓国製のSONY液晶テレビを買うだろうか。それはカールツァイスのレンズが付いたSONYビデオカメラを買うのとはわけが違う。先端技術のSONYという“ブランド”をSONY自らが捨てたのである。SONYは自らの伝統(=トリニトロン管)ゆえに、伝統(技術のSONY)を捨ててしまった。まさにおごれるもの久しからず、絶頂は衰退の兆しだったのである。
もう一つの問題は、事業部制(カンパニー制)の悪弊。90年代を中心にSONYのような大きな会社は、事業部毎の独立性を高め、時代の変化に対応する商品開発のスピードをあげようとした。一方でそれと並行した事態である家電、AV機器のコンピュータ化(デジタル化)が招来するものをSONYは見落としていた。事業部制はスピードを上げるかに見えるが、IT+デジタル革命は事業部的な垣根を破壊するように進んでいたのである。
事業部が自らのミッションを担おうとすればするほど、商品の差異は見えなくなっていくというのが、ここ10年のAV機器業界だ。そのもっとも代表的なものがiPodに代表されるHDDミュージックプレイヤーやHDDビデオレコーダーだ。
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