どう考えても福知山線の悲劇を語る関西弁は、悲劇に聞こえない(神戸震災の時にもそう思えたが)。
関西弁は悲劇を語るときにもトーンが日常時と同じ。この語りの元気さが関西弁を支えている。
深刻な事件を関西弁で語るというのは、すべてがウソっぽい(私は同じ関西人として聞いていられない)。しかし、こんなに悲劇な時でも滑稽に見える関西弁の関西人が折れ曲がった車中で一人、二人ともはやその語る言葉を失っていくこと自体が本当に悲しいことなのかもしれない。合掌。
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