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e-ラーニング論 (その3)― 『カレッジマネッジメント』124号[教育]
(2003-12-08 08:43:29) by 芦田 宏直


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連載中の『カレッジマネッジメント』(リクルート)原稿です。昨日書き上げました。

●「学びたいものを学ぶ」は学びではない。

「モバイル」、「ユビキタス」、「高度情報化社会」という言葉が並び始めると、教育の側でももはや「キャンパス教育」(場所を特定した教室教育)は古い、ということになりがちだ。その意味では、e-ラーニングは、教育そのものを売るメディア、純粋に知的なメディアだということになる。

「いつでもどこでも」の「ユビキタス」状態は、自然的な制約を除去した自由な主体(=時間・場所に制限されずに何でもできる主体)を形成する分、逆に何もする気にならない主体の生成でもあることは前号、前々号でも指摘した。自宅でも勉強できるというのは、逆に勉強以外の何でもできる私的な時空(=自宅)が存在しており、その中でことさらに勉強(だけ)をするというのは、極めて意志(選択的、排除的意志)の強い主体を想定しなければあり得ない学習状況なのである。行動の自由というのは、行動自身がある特定の時間と場所を必要とするから、その不自由さから解放されない限り(それはありえない)、「何でもできる」というのは「何もできない」ということとほとんど同義である。何か行動するというのは、他のことをしないということと同じことなのだから、できることが多くなればなるほど、人は観念的、人工的、内省的な意志を強く持つ必要がでてくる。IT時代というのは、その進展のスピードに目を奪われて技術の時代のように思われているが、もし、IT時代がモバイルやユビキタスの「いつでも・どこでも」を意味しているとすれば、それはむしろ内省的な意志を強要するきわめて観念的な時代に突入しはじめているということである。極端な自由は極端な強制を逆に必要とするのである。

だからこそ、e-ラーニングは、社員教育や社員研修、あるいは組織的な集団教育といった“上から”の指示や命令のあるシステムでないと有効に機能しないとも言われてきたわけだ。どういう仕方でか外在的な強制が加わらない限り、誰も何もできない時代がIT時代の“自由”の意味である。というよりも、〈行動〉とは元来そういうものなのである。

「フリータイムレッスン」「オンデマンドレッスン」もまたほとんどの場合、スクールに“通う”ことを前提に成り立っている。「いつでも」と「どこでも」を、同時に実現してしまうと、自由すぎる“危険”がつきまとうからだ。

しかし、e-ラーニングの課題はそれだけではない。社会人教育では、目的的な受講が多い。学生教育のように一からすべて体系的に知りたいという場合は、たぶん、MBA社会人大学院のような形態を取るだろうが、その手前の需要の方が遙かに高い。というよりも、1年間スケジュールの決まった“学生”生活を送れる社会人がこの流れの速いインターネット時代にどれだけいるだろうか。その意味では、限られた時間(短時間の集積態)に、目的のはっきりした学習を求める、というのは社会人学習の無視できない要求である。

既存の教室授業の形態(=“通学受講”の形態)では、スクールパンフレットやその中の「講義概要」でしか、講義の内容を事前に知ることができない。テラハウスのように90分単位で講義概要がある場合でも、実際に受講すると(たとえ、たしかに講義概要通りの授業が行われていたとしても)、やはり受講者が望んでいたものと「違っていた」ということが起こりうる。90分の一授業の中にでも“無駄”を感じてしまうのが“社会人”受講の特質の一つである。

したがって、e-ラーニングのようなメディアになったコンテンツ(=たとえばリアル授業が収録されて“デジャブー”になった状態)は、講義の全容が受講以前に露呈していることと同じことを意味しているはずであって、これは目的的な講座選択に大きく貢献できるはずである。E-ラーニングの本質の一つは、それがいつでもすでにアーカイブスになっているということである。秒単位、分単位で学習者が自分の学習体系を自分の流儀に沿って組み立てられなければ、e-ラーニングの社会人展開は進まない。ちょうどハイパーリンクをたどるように、講座の中身に入っていくことのできる体制(タイトル・講義概要・インデックスを超えた講座検索)を作ることが、e-ラーニングの、教室講座の限界を超えた固有の教育供給体制なのである。授業の中で講師が実際に話した言葉をフルテキストで検索できるテラハウスのストリーミング講座体制は、その一部をすでに実現している。

要するに、「いつでも」「どこでも」の、次段階は、「学びたいものを学ぶ」ということだ。これは、e-ラーニングでしかほとんど実現できないことだ。

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