平成3年に文科省が、大学の「自己点検・評価」を言い始めて、平成14年に専門学校も「自己点検・評価」を行いなさい、ということになった。「自己点検・評価」では先輩格の大学では、ここ10年間この「自己点検・評価」の成果は何もない。ろくなものがない(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=92)。文科省もしびれを切らして、「第三者評価」を言い出し、「大学基準協会」なんて組織が生まれている。たぶん、専門学校も「第三者評価」の波にのまれるだろう。しかし、第三者評価は、「自己点検・評価」が基盤にないと何一つ成果は生まれない。点検・評価の本来の意味は、学校が個性(コアコンピタンス)を持つこと、その個性を内外に証示することにあるのだから。
この「自己点検・評価」で、大学も含めて世界で一番進んでいるのが、私の東京工科専門学校だと思う。平成14年に「自己点検・評価」が法律化するまえ、平成10年を前後して(死にものぐるいで)取り組んでいたわれわれの「履修改革」(http://www.tera-house.ac.jp/profile/ashida01.htm)が、丁度、この「自己点検・評価」の社会的運動に対する回答に重なってしまった、というのが私の実感。専門学校や高等教育全般の信用回復、教育再生のためにも、この「自己点検・評価」の道筋は必須のものである。昨年の軽井沢セミナー(http://www.ashida.info/jboard/read.cgi?num=41)の参加者であった神戸電子専門学校(http://www.kobedenshi.ac.jp/new/index.html)の福岡先生(青年懇話会事務局)が「感銘を受けた」(ありがとうございます)とのことで、今回の研修で講師をすることになりました。
以下がパワーポイント原稿。●単位でスライドです(これとは別に27枚の資料がついていましたが、それは割愛しておきます)。あくまでもスライド原稿ですので、すべてがわかるわけではないとおもいますが。あしからず。
参加者の多くの方から、講演後、私の学校にも来て講演をやって頂きたいが講演料はいくら出せばいいのか」との“質問”を受けましたが、「ここ数年、私の講演料は交通費とどちらがそうなのか、わからないくらいしか出たことがない。現にこの青年懇話会もそうだ」と言っておきました。大笑い(受けました)。私は笑えませんでしたが。
●2003年度・全国専門学校青年懇話会
経営戦略セミナー
「自己点検・評価」とは何か
― 教育改革としての「自己点検・評価」
テラハウス東京工科専門学校:芦田宏直
ashida@tera-house.ac.jp
●専門学校「経営」と教育
専門学校経営指標の傾向
「募集」と「退学率」
「設備投資」と「人事評価」
「就職率」と「資格合格率」
「認定校」と「官許資格」
「新科設立」と「カリキュラム改革」
(上記指標には)実質的な教務指標が皆無、これが危機の内実
●「自己点検・評価」=授業評価
?学校の教育評価の基本は、カリキュラム、設備、教員でもなく、ましてや募集でもない。
?カリキュラム(履修表)が存在することとその教育が存在することとは全く別。また科目が存在することと、その科目目標が遂行されていることとの間には千里の径庭がある。
?設備はそれに見合う能力育成ができているかどうかがその存在だけではわからない。
?教員は、専門性の業績や人気、“学生指導”力だけでははかることができない。
?募集もまた、短期的には科の内容抜きに上下動する。
?結局、学校の教育が〈そこ〉にあると言える場所は、〈授業〉活動にほかならない。そここそが、カリキュラム、設備、教員が評価されるもっともリアルな場所だと言える。
?つまり「自己点検・評価」の教育的な内実は授業評価でなければならない。
●授業評価の前提と方法
?授業〈評価〉を行うためには、授業〈目的〉がなければならない。
?授業目的を参照しない授業評価は、単なる個人干渉(主観的な授業法の押しつけ)か授業法改善運動(相対主義)に終わる。
?ところが、肝心の授業目的を表示する資料が学校のどこにも存在しない。
?従来のデータでは、存在しても「シラバス(講義概要)」どまり。「科目名」どまり。
?「シラバス」では、“この授業”がこれでいいのか、悪いのかの判断(授業評価)ができない。
? “この授業(この90分の授業)”の日常的な累積が「シラバス」を実現するとすれば、“この授業”の目的が、シラバスとは別に示されていなければ、授業評価は不可能。
?コマシラバス(90分単位のシラバス)のないところに授業評価はない。
「学生アンケート」という名の授業評価