by 江口淳 元芳林堂池袋本店次長(2009-01-26 20:35:39)
公立中学の大きな意味、納得です。
此処でぼくは人生の殆んどを学びました。
時は60年安保前夜、クレージキャッツ「大人のマンガ」の頃。
〈家族〉という、〈社会〉と抗う唯一の拠点、ちちはは、是が今の僕らの全てを支えている様に思います。
by 大森(2009-01-29 12:43:30)
この記事、いいですね!!
一番最初に力強く結論を提示して、それを支える根拠は分かりやすく提示されている。
内容もさることながら、こういうスタイルの文章を書けるようになりたいと思いました。
出版社とけんかしないで、本にしてほしいです。お願いします。なにをそんなにけんかすることがあるのですか?
遠くからでいいから、芦田さんを拝んでみたいです。
by 大田(2009-01-30 10:09:34)
ほとんどその通りと思いますが、若干のズレを感じる点があります。
一つは最近の私立進学校では偏差値上位校でもそれなりの多様性があるんじゃないでしょうか。
親の職業もマチマチだし収入もバラバラ、子供もガリ勉もいますがユニークな子も悪い子もいる。
多分、受験をする子が増えたせいだと思います。(東京だと4人に一人?)
二つ目は私立希望の理由はいい先生に充実した授業を受けさせたいというのが一番じゃないかということです。
階級?を意識しないと言えば多分ウソだと思いますが、上記のようなことで「買ったつもりが無駄だった」という感じでしょうか。
それにしても公立からでも東大に行けるようでないとまずいですね。改革は何でもてっぺんから、ですから高等教育の改革から始めないとダメでしょうか。芦田さんのお仕事ですね。
by ashida(2009-01-30 11:45:25)
>江口さんへ
そうですよね。「家族は社会の最小単位」などという「家族社会学」の陳腐な「定義」を我々は乗り越えねばなりません。
>大森さんへ
最近の出版社は、書くのが仕事の大学教授にさえ、「ゴーストライター」を付けるのですよ。養老の『バカの壁』さえそうです。私にはそれが耐えられませんでした。
>大田さんへ
「私立の多様性」についてですが、確かに日本の場合、「ウルトラモダン」によって「多様」だと思いますが、しかしむき出しの多様ではない。多様な多様ではない。「ユニークな子」と「不良」「登校拒否児」とは別です。
「私立希望の理由はいい先生に充実した授業を受けさせたいというのが一番じゃないかということ」ですが、それはそうだと思います。しかし私が言いたいのは、若い時代には「いい先生」に出会わせるよりも、同世代の「多様」に出会った方が価値があるということです。
「いい先生」というのは(高校までなら)結局大学受験のためでしょうから、予備校か塾の「いい先生」で充分代用が効く。というか一流私立の先生の「いい先生」程度であれば、まともな予備校の先生の方がはるかに勉強しています(しかもはるかに安い)。若い世代(幼児期から高校まで)の人格的な成長にとって、「いい先生」とは多様な同世代の「友達」のことです。友達との関係の中で子どもは一番育ち、学ぶのです。そう思います。
by K(2009-01-30 13:23:08)
ある人の言は、個人的経験則ですね、仰ること自体には、共感を感じますけど、一般論としては極端すぎる面もあるような。そういう傾向が認められるということは、否定しにくいとは思いますけどね。
歴史は繰り返すことが多いですし、学ぶべきと思っています。が、芦田さんの論理も、切り口で見えてるような方たちはそうなんでしょうけど、私学、一貫校に入学させている父兄が、皆そのような思考かどうか、それは疑問でしょう。多面性があると思います。
実際、公立校の荒れ方というのは、局所的には、想像を絶する面もあるようです。