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明けましておめでとうございます ― 学歴社会、超高層建築、自由と主体性、そしてポストモダン(4000字の年賀状)[日常]
(2008-01-04 01:42:29) by 芦田 宏直


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学歴社会は、人間の評価を変えた。

学歴社会とは、「国語・算数・理科・社会(+英語)」の能力で、社会の入り口(場合によっては社会の最後まで)の選別を行う社会のことを言う。

「国語・算数・理科・社会(+英語)」以外の能力とは何か。それは「体育・音楽・美術・技術家庭」の能力のことを言う。

前者と後者との違いは何か。前者はとりあえず〈努力〉で何とかなる科目。後者は〈努力〉を超えた能力が必要な科目(もちろんその区別は絶対的なものではないが)。

「100メートルを12秒以内で走れ」と言われても、〈練習〉では限界がある。音楽にしても絵にしても限界は見えている。一夜漬けの効かない科目、それが「体育・音楽・美術・技術家庭」。

結局のところ「体育・音楽・美術・技術家庭」の能力とは、天分のことだ。生まれ落ちた家庭(=親の能力)や地域の影響が大きい科目群なのである。

「国語・算数・理科・社会(+英語)」の能力を階層形成の原理にしましょうという学歴社会は、とりあえずは、反家庭主義、反地域主義の立場=空中主義の立場に立っている。

いわゆる〈身分社会〉の反対概念が〈学歴社会〉だ。私立の名門小学校が子供の能力よりも親の素性を追い求めるとき、彼らの〈名門〉とは文字通りイエの名門を本来的には判定していている。本来の「私立名門校」とは学歴社会の反対概念なのである。

学歴社会の評価判定は、○×試験を原理としている。それは今ではマークシートにまで進化した。それらは、出自(家庭)や階級を相対化することに意味がある。

一方、「名門私立」の評価判定は、記述回答、面接試験を持って原理としている。それは家庭環境・地域環境・階級をあらわにする。筆記文字、服装、しゃべり方を直接体験すれば、階級属性は比較的簡単に判断できる。

それに反してマークシート(○×試験)は人間の純粋努力だけをOUTPUTしている。その意味で、マークシート(○×試験)は近代的な人間性そのもの、近代的な自由(の成果)そのものを評価しようとしている。マークシートや○×試験が〈人間性〉を疎外している、というのは逆なのである。それを批判することが出来るのは、近代的な人間なんてどうでもいい、という立場だけなのだ。

学歴主義が評価の自由主義だとしたら、超高層建築は、建築の自由主義だ。

従来の建築は、地域と階級に縛られている建築だった。建築は〈生活〉を露呈させる。家を見れば、その家庭がどれほどの階級に属しているかはほとんどわかる。戸建て住宅で生活と階級を分離することなどほとんど不可能なのだ。

20坪の一軒家で、フェラーリを駐車場に置くことは(20坪の場合、悲しいかな駐車場は玄関よりも前方に位置してしまう)、ほとんど後ろ指を指される行為に近い。動産と不動産が不釣り合いなのである。戸建てではこういったアンバランスはよく起こる。高いブランドもので全身をまとっていても帰って行く自宅は20坪以下の家であるようにして。

こういった現象が「不釣り合い」と思われる原因は、住宅というものが「不動産である」ことによって、〈衣服〉のようには簡単に選択できない意匠になっているからだ。

近代化は、様々な仕方で様々なものを選択可能なものへと転換させてきたが、最後の砦が「不動産」=〈住宅〉だった。

〈住宅〉とはそもそもが〈生活(暮らし)〉である。一方、近代化の原理は反生活。生活感のないことが近代化。

トイレもきれいになった。洗濯物も室内で干すようにもなっている。食べ物も加工品が多くなり、ゴミまで分別するようになった。分別できないものを〈ゴミ〉と言うのだろうに。最近では犬のうんこを持ち歩いて散歩をするというわけのわからない人種が頻出するようになっている。うんこの臭いがしない食べ物も出てくるようになった。

〈生きる〉ということは、本来〈汚い〉ものなのに、それを隠すことが〈近代化〉。

住宅の発展も、〈生きる〉ことを隠すことがその原理。たとえば、洗濯物が見えない暮らしが高級住宅の証であるようにして。最近では小住宅でも室内に洗濯物を干すようになってきた。あるいは洗濯物は乾燥するまで洗濯機の中に閉じこめられるようになってきた。

しかし住宅全体の見栄(=外観)は依然として貧相か、貧相でないかの〈暮らし〉を表現している。

それを相対化しようとしたのが、60年代の団地、70年代以降のマンションだった。もし20坪の自宅であってもポルシェやフェラーリを後ろ指さされずに乗ろうとしたなら、マンション(=都市生活)を選ぶしかない。マンションは、個別の住宅=戸建て住宅よりは暮らし(=生きること)を隠しやすい。一つのマンションは一つの地域(一つの空間と時間)に相対的にではあれたくさんの階層を抱え込むことが出来るからである。

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