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ある読者の方から、お前のハイデガー論を読みたいとのメールを頂いた。何を今頃、と思ったが、私の著作(『書物の時間』)はもはや手に入りづらくなっているので、この際、ブログ版で再録することにしました。今でも悪くはないですよ(充分読む価値はありますよ)。関心のない人は読み飛ばしてください。
『存在と時間』論 − 「非性の存在論的根源」について(1988年)
●目次
1.「世界(Welt)」と「環境世界(Umwelt)」
2.手許存在者の「非性 (Nichtheit)」と「世界親密性」
3.存在可能(Seinkonnen)としての実存と超越の「有限性」
4.現存在の「全体性」と(非=)本来性
5.現存在の全体性と「存在の問い」
凡例
1)『存在と時間』の引用に際しては、Max Niemeyer Verlag の第12版を使用してい る。例えば、(286)、と、断りなしに頁数を指示したものは、この第12版 の頁数のことである。なお、この原典のページ数は、中央公論社版『存在と時間』欄外にも記載されている。ドイツ語版が手元にない読者は中央公論社版を参照されたい。
2)ハイデガーの別のものの引用に際しては、Vittorio Klostermann 社の現在刊行中の『ハイデガー全集 (Gesamtausgabe)』を使用しており、例えば、 (Bd.9,121) と いうふうに指示したものは、9巻「道標 (Wegmarken)」121?ということである。
3)『存在と時間』では中央公論版(原佑・渡辺二郎訳)の訳に、その他のものは創文社版『ハイデガー全集』の訳にほぼ準じている。中央公論版『存在と時間』はそれほど悪い訳ではないが、In-der-Welt-seinを「世界内存在」と誤訳していることだけはここで指摘しておく必要がある。正しくは文字通り「世界-内-存在」と訳すべきだ。−(ハイフン)なしで訳すと、「世界内」が「存在」の単なる形容詞に堕してしまい、世界があることと「世界内存在」=「現存在」との等価性が見えなくなる。「世界内存在」と「主観」との差異が見えなくなる。中公版の読者は是非気をつけてもらいたい。
4)その他の出典は、そのつど(或いは前後関係において)指示した(つもりである)。
5)テクストの前後関係、特に引用した研究者の訳語の(既)決定によっては、ハイデガー特有の用語(訳語)を論文全体を通して統一的に使用することはできなかった。お許し願いたい。
6)原典にあった引用中のゲシュペルト、傍点、下線などの強調は、サイト収録の技術的都合上すべて割愛してある。お許し願いたい。
7)原典にあったドイツ語のウムラウト、フランス語のアクサンなどの表記は、サイト収録の技術的都合上、それらをはずした英語表記になっている。お許し願いたい。
8)欧語のハイフネーションについては、今回のサイト収録に当たり、一切無視している。お許し願いたい。
9)段落の分け方については、サイト収録上の見やすさを考慮して、私の原著作(『書物の時間』)の初出とは異なったものになっている。
10)原著作にはないが、サイト収録に際して(サイトでの読みやすさを考慮して)、長文の引用の文頭には★マークを付けている。★マークで始まり、頁表記で終わるまでが、一つの引用文全体を意味する。
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