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だんだん卒業式が近づく ― 1年の中で一番憂鬱な季節がやってきた[日常]
(2007-03-14 13:18:56) by 芦田 宏直


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いよいよ今週16日金曜日は卒業式。一年間の内で、3月の卒業式、4月の入学式は私にとっては一番憂鬱な時期だ。式辞があるからだ。

私は、式辞を語るときには原稿を読み上げない。そもそも式辞は校長という職責にある者の講義。式辞で講義を行うのが校長という存在。卒業するまでにたった2回(入学式、卒業式)の講義ですべてを伝えなければならない。しかも学校の全知性を代表する講義でなければならない。入学式式辞は最初の講義。卒業式式辞は最後の講義。そんな重要な式辞で原稿で読み上げるなんてサイテーの校長だ。 大概の式辞は、原稿で読み上げるくせに月並みな根性論か努力論か心理的な激励で終わってしまっている。そんな月並みなら、原稿で書くことはないだろう。原稿で書くならもっと世俗を超えた式辞をやれよ(ここまでは独り言)。

だから私はすべてそらで話し続ける。原稿を読み上げるほどの超一級の内容はまだまだ語れない。大体30分くらいか。原稿はもちろん用意するが、MS-Wordのアウトラインモードを使い、何度も何度も書き直す。頭にたたき込んで、演壇に立つが、立った瞬間にすべて忘れている。大概は、考えていたことの3割か4割しか話せない。

実際では3割か4割しか話せないから、200%、300%くらいのパワーのあることを考えないとまともな話ができない。

大概の場合、後悔しきり。話す前も憂鬱、話した後も憂鬱。ろくなことはない。今年も先週から憂鬱モードに入っており、今、学内では「卒業式」という言葉は私の前で禁句になっている。

講演ならPowerpointを使えるから、るんるんで話ができるが、式辞にPowerpointを使うわけにはいかない。式辞は話すことそのもののような儀式だから、たぶんその人間の知性がそのまま浮き出る。普段意識している知識はほとんど役に立つことはない。読んだことも忘れていたような本の内容が突然わき出てきたりする。それも式辞の数時間前だったりする。浮かぶ直前までは、何と自分は薄っぺらな人間であることかと反省しきり。そうなるともはや式辞は賭けみたいなものだ。式辞の当日は平成の関東大震災でも起こって関東全域、日本全域が沈没すればいいのに、と思ったりもする。

今年も後、2日。どうなることやら。もちろんまだ何も浮かんではいない。

ちなみに昨年の卒業式式辞は以下のもの。これも当日の朝、中野区の南台交差点を横切った黄色いレガシーを見てふと思いついた内容が元になっている。この式辞を昨年語ったときには、もはや来年のネタは絶対に出てこないだろう、と思っていた。そして後2日後にその卒業式がやってくる…


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