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ホイットニーヒューストンの下着が競売に付された ― 二作目の苦悶を誰がわかるというのか[TV・芸能・スポーツ]
(2007-01-18 21:13:45) by 芦田 宏直


ホイットニーヒューストンが自己破産したらしい。下着までもが競売に付されているとのこと。悲しい話だ。

今日は学校の行き帰りにずーっとホイットニーヒューストンの作品を聞き続けていた。

私の自宅には今4枚のホイットニーヒューストンのアルバムがある
『そよ風の贈り物』
『ホイットニー?』
『I’m Your Baby Tonight』
『THE BODYGUARD』

しかしホイットニーヒューストンと言えば、何と言ってもHOW WILL I KNOW(1985年)だ。

この曲をひっさげてグラミー賞(最優秀女性ポップヴォーカル賞)のステージに立った時は衝撃的で圧倒的だった。ボーカルはもちろんだが、何よりもグラミー賞のステージではそのスタイルにもみんなが圧倒されていた。今でもそのどよめきを覚えている。

デビューアルバム『そよ風の贈り物』は
先のHow Will I Know の他に 
All At Once 
TAKE Good Care Of My Heart
Thinking About You
Saving All My Love For you
などが珠玉の名作が続く。

私がホイットニーヒューストンをスゴイと思ったのは、実は2作目のアルバム『ホイットニー?』のI Wanna Dance With Somebody のイントロを聴いたときだった。

実はこの二作目の 『ホイットニー?』は『そよ風の贈り物』から2年以上も経っていた(たしかそうです)。

待ちきれない気分と共にホイットニー、大丈夫か、という気持ちもあって、アルバイトの帰り、そわそわした気分で新作を購入。車の中、たしか第1京浜の新橋あたりの路上で『ホイットニー?』がなり始めた瞬間だった。

ハー、イェーというホイットニーの声がビートのきいたアレンジと共に流れてきたときに、「やったー、ホイットニー。よくぞ2年間がんばってくれた」と心の中でつぶやき(なぜか)涙が出てきた。今でもはっきりと覚えている。

私はそのとき、吉田拓郎の『結婚しようよ』(1972年)の大ヒットのあとの『旅の宿』のことを考えていた。二作目というのは、創作家にとっては地獄なのだ。

『旅の宿』も決して悪い歌ではないが(私は個人的には好きな曲だが)、頭の中で考えすぎて作った感じがよくわかる。拓郎にしては知的に過ぎる歌なのだ。

二作目は期待がかかる分、(売れることを意識するから)考え込んでしまう。考えれば考えるほど、自分の作りたい歌からは遠ざかっていく。どんどん難しい歌を作ることになる。そうやって縮小再生産を繰り返し、自滅していく。ドリカムなんてそうかも知れない。

一枚目は誰にでも出せる。どんな凡人でも一枚目は出せる。二枚目が地獄なのだ。

『そよ風の贈り物』が大ヒットして2年も(新曲については)沈黙したホイットニーヒューストンが、I Wanna Dance With Somebodyで、ホイットニーはまだまだ“新作”を作れますよ、と宣言したのだった。

二作目からさらに3年以上かけた三作目『I'm Your Baby Tonight』も一作目と二作目の2年間なしにはありえない名作だった。

私はこういった創作家(アーティスト)を真から尊敬する。たとえ、下着が競売に付されようと、どんなに落ちぶれようとホイットニーヒューストンはホイットニーヒューストン。

今日は一日中、How Will I KnowとI Wanna Dance With Somebodyとを交互に聞いている。この間の2年の意味を噛みしめながら今この記事を書きながらも聞いている(今も胸が熱い)。

ホイットニーヒューストン、万歳! 極東の島国、日本で私はあなたの苦悶の2年間をしっかりわかっているつもりですよ。 どこまで落ちぶれても(人があなたを何と言おうと)私はあなたの味方です。

(Version 2.0)

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