by ashida(2006-11-19 23:12:05)
ミクシィ(MIXI)でも同様の記事をUPしたところ、以下のような反応が得られました。一部まとめて報告しておきます。
ミクシィ(MIXI)反応?
なるほど!
何か納得して読んでしまい、映像もみてしまいました。
ミクシィ(MIXI)反応?
2回も映像見ちゃいました♪
とても引きこまれる・・
中島みゆきが拓郎への思いを書いた詩であるなら、過去にこんな思いもあったけど今は拓郎にこんな感情があった?と歌詞の内容は自分の感情ではないと否定するような冷めた雰囲気と感じますね。 拓郎は過去を引きずっている?
中島みゆきが断然カッコイイ
芦田さん、浅いですかね??
●私の返信
いやー、引きずっているのは、中島みゆきの方だと思いますよ。でなければ、この歌は作らなかったでしょ。普通の女性なら泣いて済ませるところをクリエータらしい抵抗として作品として残した、そして捨てた男に捧げた…。こんな感じでしょう。
拓郎がそれを受け止めたのは、抱いた女への単なる優越感からだけのことですよ。というか黙って歌わないままだと「永遠の嘘」つきであることを(二人の間で)認めてしまうことになりますから、それをパロディ化(真剣に歌うことによってパロディ化)するしかない。だから拓郎は歌った。
中島みゆきの方からは、拓郎に歌わせた、ということでしょう。というか、歌わざるを得ない、と思っていたのではないでしょうか。歌わないことは(「永遠の嘘」つきであることを)認めることですから。
だから、この歌の“やりとり"は複雑なんですよ。拓郎は真剣に歌わざるを得ない。その姿を中島みゆきは受け止めることも拒否することも出来ない(拒否は未練を意味する)。結局傷ついているのは中島みゆきです。
男は女性を(人前で)振ってはいけません。男が美しいのは捨てられるときであって、女性を拒絶してはいけないのです。貴乃花(→宮沢りえ)も小室哲哉(→華原朋美)もサイテーの男です。そういう離別は女性に一生深い傷を残す。
中島みゆきにはつらーい歌だと思います。本当は作るべき歌ではなかったのです。作ったのは、彼女のクリエータとしてのプライドだったのでしょう。それが逆に傷を深くさせた…。つらーい、つらーい歌なのです。
ミクシィ(MIXI)反応?
ん〜。何度か見ましたがわかりませんでした。
指揮者の人の姿が異様に大きい気がしましたが。
●反応?への返信
「指揮者の人の姿が異様に大きい気がしましたが」。
その指揮者は瀬尾一三( http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%80%AC%E5%B0%BE%E4%B8%80%E4%B8%89 ) と言います。
知る人ぞ知る名プロデューサー(アレンジャー)です。今回のライブや2005年のライブ( http://mixi.jp/view_item.pl?reviewer_id=2578229&id=446349 )でも拓郎の作品とストリングスを見事にアレンジしています。ぜひ2005年のライブのDVD( http://mixi.jp/view_item.pl?reviewer_id=2578229&id=446349 ) を聞いてみてください。
拓郎ファンでない人でもこのDVDに収められた歌は好きになります。もし拓郎ファンでもない人が拓郎の歌を好きになったとしたら、この瀬尾一三のアレンジのおかげです。
ミクシィ(MIXI)反応?
わかりました!
芦田さんのおっしゃる通りでした。
あのコンサートの映像が頭から離れなく調べちゃいました。
そうしたらこんなサイトを発見しました。芦田さんの解釈が正しいことを裏付けています。
↓
http://www.begets.co.jp/doda/archive/064.html
また映像見たくなりました。
by kiyoto(2006-11-29 20:23:26)
吉田拓郎さんと中島みゆきさんの関係は良く知りませんがこの曲は拓郎さんの数ある名曲の中では特に異彩を放っている曲だと思っています。
拓郎さんの字余り早口言葉風の唄に中島さんの詩が乗ること自体、40代後半の私にとっては違和感大有りですね、しかも詩の内容は中島さんワールド全開だし・・・
辛くて暗くて寒〜いという中島さん一流の世界ですよね。
それでもこの曲は名曲です、つま恋のライブを見て改めてそれは感じました。でもつま恋での中島さんは正直キモかったというか怖い・・・と同時に拓郎さんは還暦過ぎてもカッコ良いオヤジで、イイ年のとり方してるなと思いましたよ。
by 通りすがりですが。(2007-09-25 10:52:41)
こちらにも記事を見つけましたので、投稿してしまいますが。
しつこいですか。ごめんなさい。しかし、書いてしまいます。
中島みゆきの目つきと立ち姿が異様ですか? そうですか?
中島みゆきは”いつも異様”ですよ・・・。
彼女は、非常にナルシシズムの強いアーティストですから・・・。
まあ、アーティストやシンガーは皆、ナルシシズムが強いですけど。中島みゆきは特に凄いですね。他の映像も御覧になってはいかがですか?
「永遠の嘘をついてくれ」は拓郎側が、中島みゆきに制作依頼した歌です。若い頃の中島みゆきは、吉田拓郎のフォロワーでした。
中島みゆきの才能は、いわゆる”吉田拓郎らしい歌””拓郎っぽいメロディー”を生み出すことが出来ます。拓郎が好んで歌う「ファイト!」なんかも、そういう傾向があるでしょうか。
吉田拓郎のファンであり、”追っかけ”までやった中島みゆきは、拓郎と同じくアーティストとなって、或いは、同じ業界で接触していくなかで、”吉田拓郎”は、自分が昔に偶像化して憧れたいた”吉田拓郎”ではなかったと既に分かってはいるけれど、それでも、自分が勝手に偶像化し憧れた”吉田拓郎”であって欲しい、そういうメッセージを、拓郎側から制作依頼されて創った歌に込めたのではないでしょうか。というのが私の解釈です。
拓郎は、昔から自分のイメージが勝手に作られることを嫌がってます。でも、同じアーティストからのこの独善的なメッセージは、結構心地よく感じていて、それで、自らを振り返った30年ぶりの”つま恋”で競演の運びとなったのではないでしょうか?それだけでも充分ドラマティックですが・・・。
いづれにしても、「永遠の嘘をついてくれ」は男女の愛憎のみを歌ったものではありませんよ。男と女の事は字面上の表現手段でしかないと思います。中島みゆきが吉田拓郎に弄ばれたことへの恨み?非常に表面的な解釈ですね。これが分からないと男女の出会いと別れが分からない人ですか・・・。
何十年も”吉田拓郎”を聴き続けて、見続けた人達の解釈はどうなんでしょうね?自分の青春を”吉田拓郎”或いは”よしだたくろう”と一緒に生きた人達は、どう解釈するんでしょうね?
男女の出会いが分かる、分からない以前に、芦田さんは、”吉田拓郎”が分かっていないんじゃないですか?
御無礼を承知で、かなり嫌味な言い方をしました。御気分を害されたら申し訳ありません。
ただ、”吉田拓郎”の熱心なファンとして、”吉田拓郎”を聴き続けた者として、芦田さんの独善に対し、物申し上げる次第です。
by ashida(2007-09-25 21:37:18)
忙しいときに、こんな面白いコメント、止めてくださいよ(笑)。
「永遠の嘘をついてくれ」は吉田拓郎では絶対に書けない詩です。曲は歌う吉田を意識して作られていますが、この詩は拓郎には書けない。拓郎らしくない歌です。体育会系の歌ではない。時にはロマンチックなそぶりを見せる拓郎の詩でもない。
「これが分からないと男女の出会いと別れが分からない人ですか・・・」。
そうだと思いますよ。そうでないとしたら、あなたは、この詩をどう解釈するのですか。それを教えてください。
私は拓郎を批判などしていませんよ。誰にでも、こんな事は起こるよな、と思ってるだけです。
歌(=詩)というものは、特異なことを語るものではなくて、そこにあるものを語るときにこそ、美しい。
だから、記事でも書いたように、世の中の女性は、男達すべてに「永遠の嘘」をついてくれ、と内心思い続けている、ということです。そう思うと人ごとではいられない。
いい歌です。褒めている、ということをなぜあなたはわからない。
by 拓郎&みゆきファン(2008-01-13 18:51:00)
初めまして。一度拓郎とみゆきはできているという妄想に取り付かれた人には何を言っても無駄でしょうが、昔から両者のファンであった私には、それは考えられませんね。
みゆきの目つきと立ち姿で判断されたのなら見当違いです。
演劇仕立ての「夜会」なるものを長年やってるみゆきは、歌っている時にその歌に入り込んだナルシズムな表情をするのは、いつもの事です。
又、歌詞についてですが、自分の経験や考えてる事しか歌詞にしない拓郎と違って、みゆきは嘘と本当を上手く織り交ぜて、さも本当であるかのような物語を歌の中で作り上げるのが非常に上手い(プロデューサー談)。
冒頭のニューヨーク云々なんて拓郎とは全く無縁に感じるわけ
で、私はむしろ過去みゆきと親しく噂のあった某アーティストのことじゃないかと思ったぐらいです。
確かに、みゆきは拓郎のファンだったのですが、拓郎と対等にちゃんと喋ったのは、この歌を依頼された時が初めてだったようです。それも二人共通のカメラマンを通してです。