モバイル『芦田の毎日』

mobile ver1.0

総集編:子供に携帯電話を持たせてはいけない ― 家族と親の役割(2006-11-09 21:11:47)へのコメント

< ページ移動: 1 2 3 4 5 >

by ashida(2006-11-17 23:49:40)

こんなこと一度に書かれても、〈教授〉でない私には時間がありません。今学校から帰って来ましたが、明日は6:00起き。学校見学会です。

一つだけ言っておきます。私のベンヤミン論序章です。

『複製技術時代の芸術』の〈いま・ここ〉一回論=アウラ論に対置される複製技術論は、ヘーゲル的な〈いま・ここ〉論以前であるため、通俗的です。ロマン主義の変形に過ぎません。

そもそも、なぜベンヤミンは受け手の側からの、つまり狭い意味での媒体論(=「メディア」論)からの芸術論を説くのでしょうか。私は彼に続く受容美学の立場をまったく取りません。

芸術なんて見る人、聞く人が一人もいなくても芸術です。それが芸術です。

フッサールなんて、人間よりも、天使よりも先に〈意味〉があると言ったくらいです。

だからベンヤミンの〈複製〉論は、ヘーゲル以前です。ヘーゲルならば、根源的な人間のメディア(=知覚)から芸術論を説く“根性”がありました。それがベンヤミンにはない。

このまま書くと、今から眠らずに二晩くらい続きそうですから、やめておきます。目の縁真っ黒にして見学者の前に立つわけにはいきません。乞うご期待。


by 704号(2006-11-18 09:24:48)

す,すみません。お騒がせしてしまって…。調子に乗りすぎました。僕の戯言は,何かの際にちょっとでも思いだしていただければ,十分に光栄です。

芦田さんにはばれていると思いますが,僕は,かなりのお調子者です。次から次へいろんなことを連想してしまう病癖があります。この病癖は,特に,ネットを使っている時に起こります。本当は,ものごとを体系的に思考しなければいけないのに,ネットを使っていると,非体系的に拡散してしまいます。ネット上だと拡散も許されるような錯覚に陥ってしまうんだと思います。でもそれはとても独りよがりで,僕を相手にしてくださる方にはご迷惑をおかけしていると思います。

僕は,哲学を体系的に理解しておりません。ほんの部分についてだけ,自分流の解釈で,強い興味を感じているだけだといわざるをえません。それは,哲学をご専門にされている方から見れば,いい迷惑だろうと思います。そういった意味では,芦田さんには,またまたご迷惑をおかけしてしまいました。申し訳ありません。

「パサージュ論」については,情報とどう向き合うか,自己と他者をどう関係づけるかなどの問題意識を前提に読むと,先に書き綴ってしまったようなことを感じたということです。そんな風に読んでしまうと,芦田さんの携帯電話論とクロスする部分があると思えたわけですが,そんな読み方について,ジャイアンさんからコメントをいただけるとありがたいなあと思っていました。

僕には,哲学の体系の中でのベンヤミンについて教えていただく資格はないと思います。それを教えていただくには,僕はあまりにも勉強不足です。フッサール,ヘーゲルといわれても,お話についていけそうもありません。もっとも,このネット上では,僕がお話しについていけるかどうかは,どうでもいいことかもしれませんが…。

僕の勝手なお願いとしましては,できましたら,先にご指摘いただいた『パサージュ論は、むしろインターネット的だと思いますよ(あなたの言うのとはまた別の意味で)。だからむしろローカル(=時代的)なんだ』という点に関して,わかりやすく教えていただけると大変ありがたいと思います。「インターネット」というお言葉からは「社会」,「ローカル」というお言葉からは「小空間(隙間?)」を連想してしまって,気になるのです。


by 703号(2006-11-18 09:26:24)

> 芸術なんて見る人、聞く人が一人もいなくても芸術です。それが芸術です。

この芦田さんのご指摘はスゴイと思いました。「見る人、聞く人が一人もいなくても芸術」(芸術と情報は無関係?)は「遊歩者の視点で語られた集団の夢」(情報も芸術?)の対極であろうことはわかります。「携帯電話の情報はインフレ」というお話しとつながったような気がします。


by 夕夏(2010-03-14 22:44:33)

たまにツイッターでお邪魔しております、こんばんは。

私は11歳女児、9歳男児、3ヶ月男児、の母です。

つい先日、娘の携帯を解約したところで、タイムリーな話題で興味深く拝読しました。

うまく表現できなかった「持たせてしまったけれど、なんか、だめな気がしてきた。」という私の中のもどかしい気持ち。

ああ、文字にするとこういうことなんだ!という気持ちでとても共感しながら読みました。

娘の携帯を解約しよう、と思ったのはこんなことがあったからです。

1:お母さんたちの集まりのとき、一人のお母さんが携帯を見ながら「ああ、また寄り道してる」と言いました。GPS機能がついた携帯で、子供の位置情報をチェックしている姿が怖いと感じた。

2:携帯でメールをするわけでもなく、「文通」を楽しんでいる娘を見て。

3:息子の友達が、「おばちゃん、どうしよう!」といって、防犯ブザーがなり続けているこども携帯を持って家に飛び込んできた。何か事件があったわけではなく、故障したらしい。止め方もわからないし、電池を抜こうにも「専用工具」がないと無理、とのこと。とにかくすごい大音量。バスタオルでぐるぐる巻きにして音を小さくするしかなく・・・我が家で40分間なり続けて、とうとう電池切れでとまった。

3のことがあったとき、かなりイライラしたのが、子供の携帯について考え始めたきっかけですが(笑)

そういえば、うちは父が1階の自室から、2階にいる私に携帯電話で用件を伝えてくるような・・・おかしな家だったのですが、そのときに「ああ、携帯電話なんて考えたのは誰だ。まるでくさりだ。」といやだったことも思い出し、この「くさり」を解約しました。GPSなんてとんでもありません。

早くから携帯を持たせた母の懺悔でした!



< ページ移動: 1 2 3 4 5 >
コメント投稿
記事へ戻る